なぜ京都人は6月に「水無月」を食べるのか? 老舗・俵屋吉富に聞く、その風習と変遷

水無月のいわれを探りに、俵屋吉富と京菓子資料館へ

食にまつわる様々な風習がいまも色濃く受け継がれる京都のまち。なかでも、厄除けのご利益があるとして古くから630日に食べられてきたのが「水無月(みなづき)」です。

茶席の菓子などを扱う上菓子屋から、おまんやはんと呼び親しまれる普段遣いの和菓子店、スーパーの菓子コーナーに至るまで、6月に入るとあちらこちらに水無月が並び、なくてはならない定番という意味では、まるでバレンタインのチョコレートやクリスマスケーキのよう。

ではなぜ京都の人々はこの時期、水無月にこだわるのでしょうか。京菓子の歴史に詳しい老舗でお話を聞きました。6月の京都を訪れるなら、ぜひとも水無月のことを知って、味わい、ご利益にあずかってみてください。

訪ねたのは銘菓「雲龍」で知られる京菓子司「俵屋吉富」。江戸中期の宝暦5年(1755年)に創業し、その長い歴史のなかで公家や茶道三千家、数ある寺社の御用を務めてきた京都を代表する老舗の一つです。

菓子に込めた人々の祈り

お話を聞いたのは九代目当主で代表取締役社長の石原義清さん。厄除けに水無月を食べる風習について、現代人の私たちはどこか「まじない」「気分のもの」ととらえがちですが、医療が発達していなかった時代の人々にとっては「もっと切実で、ある種のようなものだったのではないでしょうか」と石原さんは考察します。

ではなぜ6月に水無月を食べるのでしょうか。それは宮中の風習に由来しているといいます。冷凍技術がない時代、冬に自然に凍った氷を夏まで貯蔵しておくために、「氷室」と呼ばれる施設が山間部につくられていました。

その貴重な氷を口にできるのは、もちろん身分の高い人々だけ。宮中では61日に「氷室の節会」と呼ばれる儀式があり、献上された氷室の氷を食して暑気払いをする慣習がありました。氷が手に入らない庶民は、その氷室の氷をまねてつくったのが水無月というわけです。

1年がはじまってちょうど半分が過ぎた6月の末、この節目に半年間の穢れを祓う「夏越の祓」は全国各地に残る神事です。水無月の起源には諸説ありますが、この夏越の祓と宮中の氷室の節会が結びついて生まれた風習と考えられそうです。

京都観光Navi「夏越のころ」の記事はこちらから >

冷房や食材の冷蔵保存がなかった時代、暑い夏は疫病が流行りやすく、ときに命の危険が身近にある季節でもありました。それを乗り越えられるよう神に祈り、ご利益のある菓子を食べることは、いま私たちが考えるよりずっと切実な対処法だったはずです。

水無月は三角形に切られた外郎(ういろう)の上に小豆を散らした生菓子です。そもそも外郎の語源となっているのも薬で、その昔、痰切りや口臭消しなどに利く薬に「外郎」「外郎薬」と呼ばれるものがありました。歌舞伎の演目として知られる「外郎売」も売っているのはお菓子ではなく薬で、有名な長台詞ではその効能が語られたものです。

その薬の外郎に色や形が似ていたお菓子も同じ名で呼ばれるようになったという説や、薬の口直しに用いたお菓子を同じく外郎と呼んだという説などがあります。

また、鬼を祓う風習としておなじみの節分の豆まきも、もともとは小豆が使われていました。小豆の赤色が魔除けの色とされていたためですが、高価なものだったので室町時代ごろに大豆で代用されるようになったとか。

水無月は氷室の節会の氷に見立てられているだけでなく、人々の健康への願いが幾重にも掛けられていることがわかります。

上図は、七代目当主で石原さんの祖父でもある留次郎氏によるもの。古くから菓子商では客先への見本代わりとして絵図をまとめた菓子帖がつくられていて、資料館にも江戸期のものが展示されています。この図はそれを模し『俵屋選菓子集』として昭和45年(1970年)にまとめられたもの。「絵にあるように祖父はもともと小豆は景色ほどといって表面にぱらりと散らすようにつくっていました。のちにいまのようにぎっしりと敷き詰めるようになり、これは現代人の味覚にあわせた工夫なのではないかと思っています」。

また、石原さんの代になってからは水無月をほんの気持ち小ぶりにしたといいます。外郎はどうしてもどっしりとした存在感が出てしまうため、ほどよい食べ心地になるよう意図的にサイズを変えたそうです。

とくに茶の湯の世界では水無月は6月の菓子として用いられることが多いですが、「それにしては水無月は茶席で勝ちすぎるのです。主役はあくまでもお茶であり、菓子はそれをおいしくいただくための脇役、舞台装置の一つなので」という言葉に、なるほど!と感じ入るばかり。京の菓匠ならではの細やかな心配りです。

いまは経営に軸足を置いていますが、若いころは後継者といえど工場でひたすら菓子づくりの腕を磨いたという石原さん。「暑さが感じられるようになると、もうすぐ水無月の季節。節目の菓子だけにぐっと力が入ったものです」と振り返ります。水無月は京の人々と同じく、つくる側にとっても特別な思い入れのある菓子の一つだといいます。

俵屋吉富では水無月について5月に入った頃から予約の受付をはじめ、販売は6月の一か月間。烏丸店の北側にある京菓子資料館1階の呈茶席では、6月末に水無月が供されるのでこの機会にぜひ味わってみてください(入館料・抹茶付き700円※団体は100円引き)。

俵屋吉富が昭和53年(1978年)に設立した「京菓子資料館」では、同店伝来の道具や技術を紹介するだけにとどまらず、各界有識者の参画のもとで和菓子全般の資料を集め、日本の菓子文化の歴史やその奥深さを知ることができます。

展示室では、和菓子の変遷を伝える資料のほか、時代ごとのお菓子が再現されています。とくに宮中や武家へお菓子を納めるときに用いられた螺鈿細工の菓子箱や、絢爛豪華な細工菓子は見ごたえあり。15人以上のグループで予約すれば京菓子づくりを体験することもできます。

老舗の水無月を味わうのとあわせて、ぜひ京菓子の歴史と魅力にも触れてみてください。

俵屋吉富 烏丸店
住所:京都市上京区烏丸通上立売上ル
アクセス:地下鉄烏丸線「今出川」駅から徒歩約3分
電話:075-432-3101
ホームページ: https://kyogashi.co.jp
京菓子資料館
住所:俵屋吉富 烏丸店 北隣
ホームページ: https://kyogashi.co.jp/shiryoukan

取材をした人:石原義清

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株式会社俵屋吉富代表取締役社長。260年以上にわたって続く老舗京菓子司に生まれ、1987年同志社大学卒業後、同社へ入社。2004年より現職、九代目当主となる。一般財団法人ギルドハウス京菓子理事長、京都商工会議所常議員、同会議所食品・名産部会長、京菓子協同組合理事長などの公職を務める。

記事を書いた人:Kyoto Love.Kyoto

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