- さまざまなスタイルで花開いた京都の喫茶文化。
- 茶の湯にも通じる、京都の新しい文化サロンをめざして。
- 食事に来られたお客さんをも満足させられる充実のフード。
- コロナの時代だからこそ、喫茶で語らう日常を後世にも残したい。
さまざまなスタイルで花開いた京都の喫茶文化。
京都はコーヒーの消費量が日本でもっとも多いことは、このところメディアで取り上げられることも多く、もはや驚くネタではなくなった。ちなみに喫茶店の事業所数も全国8位となっている。京都の喫茶店には大きく分けて3つの類型がある。ひとつは戦前や戦後に創業した昭和の雰囲気をいまに残す「老舗の名店」。それぞれに唯一無二の個性があり、こだわりも客からの信頼も強い人気店だ。もうひとつは地域に根ざした地元の人が集う街の「サテン」。モーニングや洋食ランチが充実していてサラリーマンが新聞を読み、学生がたむろする場所。このタイプのお店がもっともポピュラーな存在といえるだろう。そして最後が若者を中心に人気が高い新しいタイプの「カフェ」だ。世界から集まる観光客をターゲットに、海外資本の世界的カフェチェーンが日本での一号店を京都にオープンさせることも少なくない。また「サードウェーブ」と呼ばれるシングルオリジンを重視したカフェも増えている。こうした多様な喫茶文化を背景に、京都はまさにコーヒー大国としての地位を不動のものとしているといっても過言ではないだろう。
その京都でひときわ異彩を放つ喫茶店チェーンがある。それが前田珈琲だ。前田珈琲の創業は1971年。今年でちょうど50周年を迎える。創業者は、現在の社長で2代目となる前田剛さんの父親である、前田隆弘さん。イノダコーヒの初代社長・猪田七郎氏のもとで学び、やがて独立、四条高辻に最初のお店を構え、妻の恵美子さんとの二人三脚で営業していた。10坪ほどの敷地にカウンター10席とボックス席ひとつのこじんまりしたお店だったという。当時の話を、剛さんに伺った。
前田「うちの父は、店ではつねに蝶ネクタイを締めて、早朝から店の前の掃き掃除と水撒きを欠かさず、ドイツから高価な自家焙煎機を導入して、サイフォンで淹れる。いわゆるストイックな喫茶店のマスターの典型みたいな人でした。フードもほとんどやらずコーヒー専門店としてのプライドを持っていました。当時うどんが20円とか30円だった時代に一杯50円。ハイカラで洋風のおしゃれな飲み物で高級嗜好品でした。お客さんもほとんどが近所の常連さんでしたので、みなさんの顔だけではなく好みやクセもすべて頭に入っている。例えばこのお客さんは砂糖2杯入れてミルク1杯半入れて出すと決まっている。タバコ吸うお客さんには言われる前に灰皿を、新聞読む人にはその人がいつも読む新聞を置きます。トーストでもよく焼く人、薄焼きの人、耳を落とさないといけない人がいます。『コーヒー少なめで』というお客さんまでいました。そういうニーズにひとつひとつ答える。しかも言われずとも阿吽の呼吸でできてしまう。これはすごいなと思いましたね」
しかし前田さんはそんな父親の姿を見て、自分はあのようなスタイルを継ぐことはしたくないと思ったという。理由はひとつの道にこだわり抜く美学より、変化する楽しさを求めたこと。そしてもうひとつは、このやりかたは応用が利かず、1店舗しか維持できない。それでは将来にわたって店を残すことができないのではないかと考えたからだ。そこから前田さんの挑戦が始まった。きっかけは明倫店のオープンを任されたことだった。
茶の湯にも通じる、京都の新しい文化サロンをめざして。
前田さんの転機は、大学を卒業して店を手伝うようになってから3、4年が経過した頃のことだった。本店近くにあった明倫小学校が廃校になりその跡地に京都芸術センターができるという話を耳にした。昭和6年(1931年)に建てられた明倫小学校はスペイン風建築の建物で有形文化財に指定されていた。建築に興味のあった前田さんは、西洋文化の影響を受けた日本の古い建物にある和洋折衷のユニークさに着目し、同じく西洋から入ってきたものでありながらも独自のコーヒー文化を形成した喫茶店をやりたいと考え、初めて自分の店としてオープンさせることになった。
実は前田さんはそれまで芸術にほとんど関心がなかったという。しかし当時の前田珈琲本店には、稽古場が近かった狂言の茂山家の人々をはじめ、裏千家の家元や日本舞踊の先生方など、多くの文化人がお客さんとしてお店に通っていた。裏千家の家元から直々にお茶の勉強をしてみてはどうか?と誘われ、茶道をはじめると、そのつながりから伝統文化のイベントを手伝う機会が増え、華道の家元や京都の主だった寺院の僧侶、和菓子の世界の人たちとのネットワークが広がり、徐々に京都の伝統文化や芸術の世界に足を踏み入れるようになっていく。そして前田さんがオープンさせた明倫店が入っている芸術センターの館長は、当時の裏千家家元の千宗室氏であり、茂山あきら氏も専務理事に参画するなど、前田さん自身との縁も深かった。前田さんは「パリのカフェや昭和初期の喫茶店のような文化・芸術サロンとしての役割を前田珈琲が担い、京都の文化都市としての活動に貢献できるのではないか?」、そう考えるようになった。そしてそれはお茶を通じて人と人をつないできた、茶の湯の道にも通じる。
前田「かつての父のようにひたすら美味しいコーヒーを出す個人の専門店を追究することも大切ですが、自分が伝統文化の都市である京都で喫茶店をやる意味を考えたとき、茶の湯の精神にあるはずだと確信しました」
前田さんは芸術センターで、前田さんと同じ年で当時まだ若手だった名和晃平さんと一緒に「コーヒー茶会」なるイベントを開催。昭和の喫茶店や、茶の湯の世界が綿々と受け継いできた「人をつなぎ、語らいの場を作る」という役割を現代に継承することを推し進めてゆく。今では高台寺や二条城、京都文化博物館や京都国際マンガミュージアムなどにも出店。ゆったりとリラックスしながら、心ゆくまで芸術や文化を語らう空間として、欠かせない存在となっている。
食事に来られたお客さんをも満足させられる充実のフード。
こだわりマスターのいるコーヒー専門店だった前田珈琲を、文化サロンとしての喫茶店へと変えていった前田さん。もうひとつ大きく変えたのがフードだった。当初はベーシックなチーズトーストやミックスサンドくらいしかなかったが、いまや前田珈琲の代名詞となったナポリタンを筆頭に、赤味噌を使ったハヤシライス、9種類のサンドイッチ・パンメニューのほか、本店に併設された菓子工房でパティシエによって作られたスイーツなども充実している。中でもとくにこだわったのがカレーだ。
前田「10年ほど前にレシピを改良しました。実はホテルオークラの料理長をやってらした方が退職されたあとに、ちょっとだけうちの手伝いをしていただいていたのです。その人に昔のホテルオークラのカレーのレシピを教えてもらったら、それがすごく独特で美味しかった。それでその味をベースに改良しました」
素材や製法にもこだわっている。「前田珈琲の朝は10kgのジャガイモの皮むきと玉ねぎを炒めることから始まる」と言われるように、冷凍食材やレトルト食品は使わず、市場から直で仕入れた食材を使い、京都文化博物館店にあるセントラルキッチンでひとつひとつ調理されているのだ。
前田「イノダコーヒの社長からは『喫茶店はスピードが命。素材のええもん使うたら、切ってそのまま出しても美味しいから』と教わった。それを今でも守っています。スマートコーヒーのホットケーキでもあの銅板にすごくこだわっていいものを使っている。皆さん自分からは口にしませんけど、ちゃんとしたお店は、食材でも器具でも食器でも、やっぱりいいものを使っていますからね」
◎明倫店限定「桜クリームソーダ」 770円
春限定の人気メニュー。桜色のソーダの上にクリームをのせ、さらに桜の塩漬けをトッピングしたカラフルで可愛いドリンク。女性スタッフが考案したというアイデアメニューだ。
コロナの時代だからこそ、喫茶で語らう日常を後世にも残したい。
喫茶店は日常生活の中にあるもの。近所の人が集まってお茶しながら話をしたり、出勤前に立ち寄って新聞を読みながらコーヒーを飲んでひと息入れたりする場所。だから特別なことをする必要はない。お客さんに「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と挨拶できるようなお店であってほしい。前田さんはそう考えている。それゆえ、スタッフが気持ちよく働ける環境であるかどうかを最も大事にしているのだという。
前田「イヤイヤ働いているようなスタッフが、お客さんにいいサービスしようと思うわけがないでしょう?うちには男性や女性、主婦から学生まで、いろいろな年齢層のスタッフがいます。みんな満足できる環境になっていれば、自然にお店は明るい雰囲気になるし、そうすればお客さんもハッピーな気分になれる。とくに喫茶店は人が集まって語らう場所。だからこそ、やっぱりスタッフが機嫌よくしているお店に人は集まると思うのです」
前田さんは、セントラルキッチンで調理された食材やケーキ、焙煎したてのコーヒー豆などの材料を各店舗に配達する役割を、自身の日課としていまでも続けている。その理由は、配達のために毎日すべてのお店を回ることで、お店の変化に気づけるからだ。また各店のスタッフの顔を見てひとりひとり声をかけること。それはとても大切な仕事だと語り、そしてそれは配達を兼ねているからいいのだという。
前田「ただ単にお店やスタッフをチェックしにくる目障りなオーナー、と思われてしまうようじゃダメ。ちゃんとみんなのために自分が動く。そのなかで必要なコミュニケーションを取っていく。そういう姿勢を見せないとスタッフからの信頼は得られません。市内11店舗、すべて回るとおよそ一時間以上かかりますが、でもぼくにとってすごく大切な時間なのです」
父世代の喫茶店が持っていた「マスターの美学」はたしかに美しい。リスペクトもしている。しかし、それでだけでは続かない時代だ。もし父の美学を受け継ぎ、そのスタイルをいまも貫いていたら、もしかしたら前田珈琲は昭和の名店として名を残しつつ、惜しまれながら閉店していたかもしれない。お店を続け、残すこと。そのためには「あの名物マスターの店」ではなく、「スタッフみんなのお店」にしていくほうがいい。前田さんはそう思ったのだそうだ。
さらに前田さんは「京都府喫茶飲食生活衛生同業組合」の常務理事という立場からも、喫茶店文化に貢献している。たとえば、新型コロナウイルス感染症への対応として補助金申請や店頭での感染対策、あるいはインバウンド対応としての英語のメニューの開発と設置など、高齢のご夫婦だけで経営しているお店では簡単に対応できない課題に対して、組合を通じてサポートしている。また喫茶店文化を残すため、廃業などを考えている個人の古い喫茶店があれば、その店舗を活用して若く新しい経営者に継承してもらうような仕組みづくりにも取り組んでいるのだ。
入り口のドアを開ける。カランと音が鳴り、香ばしい匂いが体の奥に沁みわたる。革張りのソファと小さめのテーブル。熱くて苦めのコーヒーと小さなポットに入れられたミルク。目玉焼きとサラダ。今日の新聞と雑誌の最新号。ゆったりとした空気と心地よいボリュームの会話のざわめき。そんなあたりまえの日常を心ゆくまで楽しむために。さあ、今日も喫茶店へ行こう。
前田珈琲
店舗情報の詳細につきましては、ホームページをご確認ください。
- 前田珈琲 室町本店
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記事を書いた人:ENJOY KYOTO
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