【京の冬の旅】知る人ぞ知る源氏物語ゆかりのスポットへ行ってみた

大河ドラマの題材として今、再び脚光を浴びている紫式部、そして「源氏物語」。1200年前の途方もなく昔のことと感じられる人も多いと思いますが、京都にはその当時を偲ぶ寺宝や、平安貴族たちの想いに触れられる名所が数多く残っています。
今回は「京の冬の旅」(2024年1月6日~3月18日)で特別公開中の2寺院を通して紫式部が生きた時代の面影、平安貴族たちの足跡を辿っていきたいと思います。

https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/

■泉涌寺へ向かう途中に瀧尾神社、「夢の浮き橋」跡

京都駅の南東、電車と徒歩でおよそ25分のところにある泉涌寺(せんにゅうじ)は、鎌倉初期創建の真言宗泉涌寺派・総本山。

古より歴代天皇やその后妃など、やんごとなき方々の葬儀が営まれた皇室の菩提所で、「御寺(みてら)」の寺格をもつ名刹です。

泉涌寺という名の由来は読んで字の如く、寺内の一角から清水がわき出たことにちなむとか。その寺域はいかにも清水がわき出そうな月輪山の麓にあり、最寄りの「東福寺」駅から泉涌寺・大門までは徒歩およそ21分で行くことができます。

東福寺駅から東改札口を出ます。東福寺駅は東西2つ改札口がありますが、コンビニのある東改札口を目指してください。

東福寺駅から左に曲がり、北へ程なく進むと、2024年の干支スポットとして注目が集まる瀧尾神社があります。訪ねた日は多くの方が参拝されていました。

瀧尾神社の角を右へ行くルートもありますが、今回は同社のやや北にある銭湯「泉湯」の角を右へ。

 

今は駐車場の一角。裏には「精算機」の文字が

すると突き当たりT字路の一角に巨大な自然石が現れます。「夢の浮き橋跡」です。

かつてここには「夢の浮き橋」という名で呼ばれた橋がありました。お察しの通り、源氏物語の第54巻(最終巻)「夢浮橋」が橋の名の由来で、この世の無常のさまが夢のごとく、また波に漂う浮橋のごとく、はかないものであるという例えが込められているそうです。

橋の名前にしてはかなりインパクトがありますが、多くの参詣者がこの橋を渡って泉涌寺へ行ったことでしょう。

ちなみに源氏物語「夢浮橋」は、光源氏の息子である薫が、想いを寄せる浮舟の行方を突き止めるも、浮舟は彼に会おうとしない。薫は落胆するというストーリーです。

「夢の浮き橋跡」から東へ進み、東大路通と泉涌寺道の交差点を渡ると泉涌寺道へ入ります。ほどなくして泉涌寺総門が現れますが、ここがゴールではありません。

総門から入ると木立に包まれた参道の趣。苔むした石垣の奥には塔頭寺院が並びます。泉山幼稚園のかわいい「飛び出し坊や」も迎えてくれます。

■紫式部のライバル!? 清少納言の隠棲地と言われる泉涌寺

大門

ようやく泉涌寺・大門に到着。門のたもとに拝観受付所があります。

大門の奥には、運慶作と伝わる阿弥陀如来像、釈迦如来像、弥勒如来像の三尊が安置されている「仏殿」(重要文化財)が見えます。

その「仏殿」の裏手にあるのが「舎利殿(しゃりでん)」。「京の冬の旅」で特別公開されている建物です。

舎利殿

「舎利殿」は京都御所から移築された建造物で、外観の白壁や蔀戸(しとみど)が特徴的です。重厚感のある禅宗様式の「仏殿」と比べると雅やかな趣が漂います。

堂内中央にはお釈迦様の歯「仏牙舎利(ぶつげしゃり)が安置されており、それを守るように日本最古級の韋駄天立像などが祀られています。天井には「鳴き龍」で知られる雲龍図が描かれ、堂内の一角から手を打ち鳴らすと不思議な音を聞くことができ、それがまるで龍が鳴いているようだと言われてきました。

「京の冬の旅」で特別公開中の塔頭寺院・雲龍院とあわせて、辰めぐりを楽しむのもよいですね。辰めぐりに関する詳しい紹介はこちらの記事をご覧ください。

https://plus.kyoto.travel/entry/tatsumeguri

右にあるのが歌碑

さて、そんな「舎利殿」の東にひっそりと佇む歌碑にご注目ください。

〜夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ〜

肉眼では見えづらいのですが、百人一首にも採られた清少納言の名歌が刻まれているそうです。

清少納言といえば『枕草子』の作者で、一条天皇の皇后・藤原定子に仕えた女房で平安時代の歌人。紫式部のライバルとも言われた女性で、大河ドラマではファーストサマーウイカさんが演じられていますね。実はこの泉涌寺のあたりは、清少納言が隠棲したと言われている地なのです。

清少納言は定子が亡くなったのち、宮仕えをやめて東山月輪、つまり現在の泉涌寺のあたりで余生を送ったと言われています。同地には清少納言の父・清原元輔の邸宅があり、また定子の陵墓もあったためだとか。
皇后と宮仕という身分の違いはあれど、2人の深い絆を見るような歌碑でした。

夕方でこの暗さ。訪ねるなら日が高いうちに

その定子の陵墓も泉涌寺の寺域にあります。塔頭寺院・今熊野観音寺の奥にある鳥戸野陵(とりべのりょう)です。

鳥戸野陵への道は、行きの参道とほぼ並行しているため、東福寺駅への帰り道に立ち寄ることもできます。「京都一周トレイル東山コース8」のルートでもあるので開放的で歩きやすい道ですが、暗くなるのが早いのでご注意ください。

京都一周トレイル東山コースに関する詳しい記事はこちら。

https://plus.kyoto.travel/entry/trail_higashiyama01

江戸後期の絵師・土佐光文筆「源氏物語図屏風」

最後に泉涌寺の宝物館「心照殿」では「京の冬の旅」にあわせて「源氏物語図屏風」が公開中です。これらも含めると泉涌寺は見どころが実に豊富。じっくりご覧になりたい方は朝からたっぷり時間をとって来られることをおすすめします。

■密教美術の宝庫、創建1150年を迎えた古刹・醍醐寺へ

泉涌寺の次に訪ねた醍醐寺(だいごじ)は、弘法大師空海の孫弟子・理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)が開いた古刹で、真言宗醍醐派の総本山。京都駅から電車を乗り継いで約35分のところにあります。
もしくは、京都駅八条口から直行路線バス「京都醍醐寺線」が運行されており、約30分で醍醐寺に移動できますので、こちらも便利です。

醍醐寺は、山の上の「上醍醐」と、山のふもとにある「下醍醐」とに分かれた広大な境内が特徴で、国宝6棟、重要文化財10棟を含む80棟あまりの建造物に加え、彫刻、絵画、古文書など、日本の仏教史、美術史の宝とも言える貴重な資料の数々を有する世界文化遺産です。


東西線「醍醐」駅が最寄りです。改札を出たら2番出口を目指します。

迷うところなので、案内看板も設置されている

2番出口から地上へ出たら正面やや左にある鉄階段に注目です。何気ない階段ですが、この階段を2階へ上がりさえすれば醍醐寺への道は開いたも同然。それぐらい大事な岐路、迷うポイントなので注意深く進んでください。

鉄階段を2階へ上がり、商業施設を抜けるとマンションの間につくられた遊歩道へと出ます。車も通らないゆったりとした道ですので、遠くに見える醍醐山へと向かって進みましょう。醍醐駅から徒歩10分ほどで醍醐寺へと着きます。

遊歩道が終わると今度は住宅街。国道の高架をくぐるともうすぐ醍醐道です。

醍醐道は松林が目印です。総門には「京の冬の旅」の案内看板がありました。

桜並木が続く参道

醍醐寺の創建は今から1150年前の貞観16年(874)。その歴史は大変古く、霊験は広く知られているところですが、平安期から「花の醍醐」、つまり桜の名所としても親しまれてきました。

慶長3年(1598)に豊臣秀吉が行った「醍醐の花見」がとみに有名で、秀吉は700本の桜を醍醐寺に植え、さらには三宝院と庭園をつくり、盛大な宴を開いたといいます。
かたわらには息子・秀頼がいたのでしょう。北政所(きたのまんどころ)や淀殿、女房衆あわせて1300人余りが参加したといわれています。派手好みの秀吉らしい逸話です。

この故事にならって毎年4月の第2日曜日には「豊太閤花見行列」が催され、多くの参詣者で賑わいます。取材に訪れた日は冬枯れた桜並木も、この日は見事な桜色に包まれるんでしょうね。

■紫式部が生きた時代を伝える寺宝が一堂に

周囲には枝垂れ桜が

さて今回、醍醐寺で訪ねたのは「京の冬の旅」では14年ぶりの公開となる霊宝館。醍醐寺総門から入って右方向、三宝院の南側にある建物で、昭和10年(1935)開館の収蔵庫兼展示室です。現代的な佇まいですが、白壁にあしらわれた大きな桐紋が印象的でした。周囲には立派な枝ぶりを見せる樹齢180年の「醍醐 大しだれ桜」もあります。

同館には国宝、重要文化財だけで7万5千点以上、未指定を含めるとおよそ10万点の文化財が収められ、春と秋にはその一部が特別公開されています。

今回は「源氏物語と祈りの世界」をテーマに、本館と平成館にわたって65点の寺宝が公開されていました。中でも印象深い展示をいくつか紹介いたします。

まるで体育館のように天井が高く広い施設

1つ目は初公開の「源氏物語図屏風」です。
光源氏が青海波を舞う源氏物語第7帖「紅葉賀」(もみじのが)と、朧月夜(おぼろづきよ)との出会いを書いた第8帖「花宴」(はなのえん)をモチーフにした江戸時代の屏風で、裂を料紙に貼って絵図にあわせて切り取り、別の絹地を貼り重ねる技法が用いられているのが特徴です。

確かによく見ると表面に凹凸や絹の風合いが見え、作者の手仕事が感じられました。夜の帷(とばり)がおりていくさまを巧みに表現した作品と評されています。

あわせて見たいのが江戸時代の掛け軸「紅葉賀之図」です。こちらも第7帖がテーマで、冠に白菊をさす光源氏と冠に紅葉をさす頭中将(とうのちゅうじょう)が、懐妊中の藤壺(ふじつぼ)のために青海波を舞う姿が描かれています。江戸時代の作品にもかかわらず、二人の衣の紋様まで見ることができました。

源氏物語では、光源氏の隣だから頭中将がやや見劣りする、といったようなことが書かれていますが、この一幅の絵の中の二人は品の良い笑みを湛え、刹那、シンクロした二人の美しい所作が切り取られていました。狩野常信による作品です。

「水晶宝龕(ほうがん)入り阿弥陀如来立像」

また、源氏物語とは別に、鎌倉期から伝わる「水晶宝龕(ほうがん)入り阿弥陀如来立像」も必見の寺宝と言えるでしょう。

この阿弥陀様は高さ約5.5cmと大変かわいいサイズで、蓮華のつぼみをかたどった小さな水晶の中に立っておられます。その自立のバランスが絶妙ゆえ、長距離移動が難しく、醍醐寺・霊宝館以外で展示されたことがないとか。鎌倉前期の仏師・快慶作と言われています。

水晶から出られた阿弥陀様の写真パネルも展示されており、檜材に漆箔があしらわれた表情などを大きなサイズで見ることができます。水晶越しではない阿弥陀様は少しふっくらとしたお顔立ちでした。

「木造五大明王像」

このほかにも、大河ドラマで町田啓太さん演じる藤原公任(ふじわらのきんとう)が大成した三十六歌仙の和歌などを記した屏風「秋草図」や、藤原定家(ふじわらのさだいえ)が詠んだ12箇月の花と鳥の和歌をそれぞれ一扇ずつ配した屏風「十二ケ月花鳥図」。

そして上醍醐・薬師堂のご本尊「薬師三尊像」(国宝)や、上醍醐・五大堂より遷座した「木造五大明王像」(重要文化財)など、とにかく大変見応えがある展示で、時間が経つのを忘れるくらいでした。醍醐寺もたっぷりと時間をとることをおすすめします。

 

配布中のチラシ右下にスタンプを押してもらう。

 

「京の冬の旅」で特別公開中の15箇所のうち、3箇所を拝観してスタンプを集めると、お茶やお菓子などの「ちょっと一服」特典があるのをご存知でしょうか。定期観光バスやタクシープランなどを除く個人での利用に限定した企画ですが、ちょっと嬉しい特典ですのでおすすめです。

今回の取材で3箇所めぐりましたので、醍醐寺・霊宝館前にある「カフェ スゥ ル スリジェ」でコーヒー1杯を無料でいただきました。水晶の中の阿弥陀様を拝顔し、五大明王像に睨まれ、平安貴族たちの暮らしに思いを馳せる…、大変充実した時間でしたので、ほっと一息、余韻に浸ることができました。

画像提供:カフェ スゥ ル スリジェ    窓の外にはしだれ桜が         

醍醐寺エリアであれば今回利用した「カフェ スゥ ル スリジェ」(定休日なし)が1番近いですが、泉涌寺エリアであれば「青窯会会館(せいようかいかいかん)」(土日祝日休み)がおすすめです。

「京の冬の旅」スタンプラリーの詳細はこちらをご覧ください。

https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/stamp.phpja.kyoto.travel

記事を書いた人:五島 望

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東京都生まれ、京都在住のライター・企画編集者。
京都精華大学人文学部卒業後、東京の出版社に漫画編集者等で勤務。29歳で再び京都へ戻り、編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。紙媒体、Web、アプリ、SNS運用など幅広く手掛ける。

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