京都の夏を代表する行事である「祇園祭」。華やかな山鉾巡行や「コンチキチン」の祭り囃子を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、その本義は「神輿渡御(みこしとぎょ)」と呼ばれる、八坂神社の祭神を乗せたお神輿が、洛中を渡る行事にあるのをご存知でしょうか。
今回は、「祇園祭ってそもそも何のお祭り?」「山鉾とお神輿ってどんな関係なの?」という方のために、ベテラン輿丁(よちょう・お神輿の担ぎ手)である、三若みこし会 祇藤会(*1)の山田佳孝(やまだ・よしたか)さんにお話を伺いました。祇園祭の真の姿をご案内します。
祇園祭の歴史と、山鉾と神輿の関係
「そもそも祇園祭とは、平安時代に行われた『祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)』という行事がもとになったもの。当時は、疫病の流行や富士山の噴火、大地震など悪い出来事が重なり、それを鎮めるために強い神様である素戔嗚尊(スサノヲノミコト)にお出まし願おうと、天皇家の庭園である神泉苑に、66本(*2)の矛を立てて、お神輿を送る神事でした」
祇園祭の歴史についてそう語る、山田さん。もともと祇園祭とは、国の行事として朝廷や貴族たちが行うものでした。その後、京都が商工業の町として発展するにつれ、鉾の担い手は町衆へと変わっていきます。鉾をただ立てるのではなく、美しい西陣織や海を渡ってきたタペストリーなどを飾るようになり、現在の「動く美術館」とも呼ばれる絢爛豪華な山鉾に変わっていったといいます。
ここで「矛」と「鉾」の違いについてご説明します。どちらも長い武器を意味する言葉ですが、どちらかというと武器の色あいが濃い「矛」に対し、装飾的な意味合いを含むのが「鉾」。祇園祭の「ほこ」も時代とともに、矛から鉾とよばれるようになったものと思われます(監修者解釈)。
「あくまでもこれは僕のイメージなのですが、キラキラと輝く山鉾に、なんやなんやと疫神が集まり、それをすぐに解体することで、あまり力のない疫神は祓われるのではないかと思います。そして、山鉾巡行の後に荒ぶる神である素戔嗚尊が通り、本格的に町を清めていくといったものではないでしょうか」
山鉾とお神輿、両方があっての祇園祭だと語る山田さん。祇園祭は17日と24日に「山鉾巡行」と「神輿渡御」が行われますが、17日(前祭/神幸祭)は八坂神社から神様が洛中に渡る日、24日(後祭/還幸祭)は洛中から八坂神社に戻る日となるのです。つまり、17日から24日の間は四条寺町の御旅所にお泊りになっているわけです。
三基の神輿
お神輿と山鉾の関係性がわかったところで、祇園祭の本質とも言える神輿の魅力について詳しく見ていきましょう。まず、神輿は全部で3基。それぞれの特徴や祭神は以下のようになります。
①中御座(なかござ)
祭神:素戔嗚尊(すさのをのみこと)
特徴:六角形の屋根の上には鳳凰。鳳凰の足元には、八坂神社の神饌田で育てられた青稲が結ばれている。重さは轅(ながえ・長く差し出した2本の棒)まで入れると2トン半。輿丁はウロコ紋の入った法被を着ている。
②東御座(ひがしござ)
祭神:櫛名田姫命(くしいなだひめのみこと・素戔嗚尊の妻)
特徴:屋根は四角形で、上に擬宝珠。輿丁の法被には「若」の字が描かれている。神輿を水平にしたまま、高い位置で回す「差し回し」には高度な技術が必要となる。轅の長さは14mと一番長い。
③西御座(にしござ)
祭神:八柱御子神(やはしらのみこがみ・素戔嗚尊の子)
特徴:八角形の屋根の上に鵜がのっている。輿丁の法被には「錦」の一文字が染めぬかれている。還幸祭では、まず錦天満宮に向かってから御旅所へ向かう。
「他の神輿についてはそこまで詳しくないですが、僕たちが担ぐ中御座はスサノヲノミコトがお乗りになる神輿なので、荒々しく力いっぱい担ぎます。『ホイット、ホイット』という掛け声をかけながら「後ろ蹴り」という独特の脚の跳ね方でお神輿を担いでいきます。綺麗というよりはちょっと荒っぽい感じですかね。ここ一番という場面では肩が砕けてもいいという思いでやっています」
法被に込められた意味と、お神輿に掛ける輿丁の思い
山田さんの所属する三若神輿会には、800人ほどの輿丁がいますが、実際にお神輿を担ぐのは一度に50〜60人。担ぎ手の近くには数人の輿丁が控えていて、タイミングを見計らって交替します。
「お神輿の重さは2トン以上、それを50〜60人で担ぐので、肩に掛かる重量は約40kg。本気で担いでいるなら1分ももたないものです。だから10倍以上の人数が必要になるのです。昔に比べて、今は早めに交替をしますね。僕らは『肩を叩く』と言って、肩を叩かれたら交替の合図になるのですが、それがとても難しいんですよ。うまくいかなかったら、将棋倒しのように転んでしまうこともあり、大怪我をする可能性もあります。そういった事故を防ぐためにも、うちの会では3月から新人の輿丁は徹底的に練習をやるんです」
また輿丁が着ている白い法被は、死装束という意味を持ち合わせていると山田さんは語ります。「実際には、そんなことがないように気をつけていますが、輿丁の多くが、お神輿でなら死んでもいい、という覚悟を持ってやっています。引退したあとでも、亡くなった時にお神輿の法被を棺に入れるのが輿丁の習わしです」
にこやかな笑みを浮かべていた山田さんの表情が「覚悟」という言葉を放つと一転して、厳しいものに変わりました。「生半可な気持ちでは担げませんね。みなさん、同じ想いで担がれているのでしょうか」と尋ねてみました。
「みこし会に入る経緯や動機は、人によっていろいろあると思います。私は親からの教え、つまり覚悟を受け継いでご奉仕しているつもりです。ちなみに、入会希望者の面接を私がする場合は『祇園祭と神輿の関係』を質問し、答えられない人には入会をお断りしています。祭と神輿の意味を知らずに担ぐことはできないと思っているからです」
日常の大切さを噛み締めつつ。2022年は短縮コースで実施
毎月1日に八坂神社にお参りする「お朔日参り(*3)」やお神輿を担ぐためのジムでのトレーニングも欠かさないと語る山田さん。そんなお話からも、お神輿への熱意や覚悟がひしひしと伝わってきます。そんな山田さんたち輿丁にとってコロナ禍で神輿を担げなかった2年間はいったいどのような気持ちだったのか、話を聞きました。
「正直に言うと、僕らは死んでもいい覚悟でやっているのに、どうして疫病退散のためのお神輿を出すことができないのかという思いが強かったですね。でも、途中から別の考え方もできるようになって、この状況は、神様からの『しばらく待っていなさい』というメッセージなのだと思えるようになりました。そして、これまでの生活に対して感謝の心を持つことの大切さを知りましたね」
2022年のお神輿は、町なかを回らず、八坂神社から直接、四条通りの御旅所までお神輿が出るショートコース。人数も例年の半数以下に制限され、担ぎ手はマスク着用を義務づけられるなど、なにかと異例の渡御となる今年への意気込みを最後に聞いてみました。
「いつも通りの道でご奉仕したいという気持ちがないといったら嘘になります。でも、数百メートルの距離でも、気持ちはフルコースのつもりで全力でやりきるつもりです!」
2020年は八坂神社の神輿庫に留まり、2021年は八坂神社内の神輿庫から舞殿までしか出せなかった神輿。そして、2022年も御旅所まで直行コースとなります。しかし、何が祇園祭の本義かと考えてみたとき、それはコースの問題ではく「疫病退散を祈る想い」こそが神輿の担ぎ手たちにとっての心の拠りどころといえるでしょう。彼らの熱い想いが7月の京都に熱気をもたらします。
2022年の神輿渡御ルート
担ぎ手は1基あたり例年の半数以下の人数に制限し、マスク着用とワクチン接種を推奨しています。
本来の神輿渡御ルート
注)文中の写真は、2019年以前の祇園祭のものです。
「祇園祭の神輿は人生そのもの」担ぎ手が語る神輿が熱い! | Kyoto love Kyoto. 伝えたい京都、知りたい京都。
【参考文献】『祇園祭のひみつ(白川書院)』
監修者 : 吉川哲史
八坂神社中御座 三若神輿会 幹事
*1:「祇藤会」…本部である三若神輿会(さんわかしんよかい)の下部組織として、担ぎ手の団体「三若みこし会」がある。三若みこし会は10のグループに分かれ、祇藤会はその中の1つとして位置づけられる。
*2:当時の日本をかたち作っていた国の数
*3:前の月を無事に過ごせた感謝や、新しい月の無病息災や家内安全などを祈ること
-
記事を書いた人:立岡美佐子
-
東京から京都に引っ越してきた、編集者。
普段は『TRANSIT』や『FRaU』など雑誌やメディアづくりに関わったり、企業や個人のWEBサイトを制作していますが、それは表の顔。裏では人を軸に京都を深ぼるイベント「ひみつの京都案内」を運営しています。東京の大学在学中も京都が好きで、同志社大学に国内留学していました(専攻は歴史学)。趣味は、合気道と食べ歩き。
Writing Laboratory