【祇園祭・特別対談】観る人にぜひ知ってほしい、祭を支える神事への思いと奉仕の心

 八坂神社宮司 野村明義 様 × 公益財団法人郭巨山保存会 代表理事 平岡昌高 様

<Profile>
 
八坂神社 宮司 野村明義(のむら あきよし) 様
昭和34年(1959年)石川県出身。令和3年(2021年)八坂神社宮司就任。
 
公益財団法人 郭巨山保存会代表理事 平岡昌高(ひらおか まさたか)様
昭和21年(1946年)京都市郭巨山町生まれ。公益財団法人郭巨山保存会代表理事。明治20年(1887年)創業の平岡旗製造株式会社代表取締役会長。

野村宮司(左)と平岡代表理事(右)

日本三大祭の一つ「祇園祭」は、京都・東山にある「八坂神社」の祭礼で、7月1日から31日の1か月にわたって行われます。なかでも、17日と24日に行われる山鉾巡行と神輿渡御は、祭の中心となる行事としてよく知られ、八坂神社だけでなく、氏子や山鉾町などの町衆によって長年受け継がれてきました。
 
行事やしきたりの多い祭を担う人々にとって、何が支えとなっているのか――。その思いについて、今回は、御祭神を祀る八坂神社の野村明義宮司と、山鉾町の一つ「郭巨山(かっきょやま)」の保存会代表理事・平岡昌高さんにお話しを伺いました。郭巨山保存会は2024年7月、まちに伝わる祭の伝統とそれらを守る活動についてまとめた書籍『100年後に伝えたい祇園祭 郭巨山』を上梓されています。

疫病を祓う祭としての祇園祭の起源と、山の移り変わり

―祇園祭の起源や、山鉾の始まりはどんなものだったのでしょうか?

八坂神社宮司 野村明義様

■野村:八坂神社は古来、御祭神に素戔嗚尊(すさのをのみこと)をはじめとする日本神話の神々と、異国の疫神である牛頭(ごず)天王や龍神などの神々や仏たちを習合していました。八坂神社という名は明治の神仏分離以降のもので、古くは都に流行る疫病や天変地異を鎮め護る祈りの精舎「祇園感神院(ぎおんかんしんいん)」として信仰され、祇園社、祇園さんの名で親しまれてきた長い歴史があります。
 
祇園祭の起源は貞観11年(869)に京の都や日本各地で疫病が流行した際、天皇の命を受けて雨ごいや厄払いが行われる「神泉苑」へ祇園社から神輿を出し、疫病を祓ったのがはじまりです。神輿と一緒に当時の国の数である66カ国にちなみ、66本の矛を立てて送ったものが現在の山鉾巡行に変化していきました。当初は鉾だけで、山はあとからつくられたといわれています。

公益財団法人 郭巨山保存会代表理事 平岡昌高様

■平岡:私どもがお祀りする郭巨山は7月17日の前祭に巡行する山の一つで、町会所は四条通西洞院を東に入ったところにあります。文献に登場するのは応仁の乱(1467~77)後のことで、『祇園社記』くじ定め書の明応9年(1500)に第十六番「みち作山」と記されているのが最初です。作山とは屋台の上の趣向を毎年変えていた山のことを指し、みちとは茶道や剣道などの道に通じる道徳的な趣向のことだと思われます。

画像提供:公益財団法人 郭巨山保存会様

安土桃山期ごろから趣向が固定されるようになると、親孝行の物語を取り上げた中国の史話『二十四孝』のなかから郭巨に題を取りました。郭巨という名の貧しい男性が、生活苦から親より子を捨てることを決断し、山で穴を掘ったところ、土中から「天からこれを与える」と書かれた黄金の釜を掘り当てます。この故事にちなむことから別名「釜掘り山」とも呼ばれ、金運招福、開運、厄除け、疾病除け、母乳の出を守るといった御利益があるとされてきました。

山鉾が担う役割と、祭のなかの信仰と教え

―八坂神社の御祭神とは別に各山鉾にも御神体があるのは不思議な感じがします。
 
■野村:八坂神社の御祭神である素戔嗚尊と妻の櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、その子どもたちの八柱御子神(やはしらのみこがみ)は、祇園祭で三基の神輿に乗って当社から市中へお渡りになり、7月17日の神幸祭から24日の還幸祭までのあいだ四条の御旅所に鎮座されます。

神幸祭(御輿渡御出発式) 画像提供:八坂神社様 

八坂神社の祭礼ですから、各町会所でも御祭神をお祀りされていますが、それとは別に山鉾それぞれに御神体があり、観音様や名僧、郭巨山さんのように歴史上の人物などが祀られています。神仏や伝承が入り混じっているのを奇妙に思われるかもしれませんが、そもそも祇園感神院は神仏混淆(こんこう)です。神と仏を分けて考えるようになったのはここ150年ほどのことで、昔は祇園祭の神輿に、僧侶が輿に乗って随行していたという記録もあるんですよ。


■平岡:そんなこともあったのですね。確かにお祀りしている御神体はさまざまですが、やはり神事であるということは根底にあります。山鉾巡行は神輿渡御のための露払いの役割を担っており、それをよく表しているのが、祇園さん(八坂神社)のある鴨川東岸へ渡らないという点でしょうか。鴨の河原に穢れを捨てる意味があるのかもしれません。前祭でも後祭でも巡行列は四条御旅所まで行って拝礼すると町内へ戻ります。ある意味、神事での山鉾のお役目はここまでという捉え方です。

郭巨山 山鉾巡行 画像提供:公益財団法人 郭巨山保存会様

17日の昼間に無事巡行を終えたあとは、夕方からの神幸祭に備えて会所と自らの身を清めてお神輿さんを迎える準備をします。お祭りの中心はやはりお神輿さんであり、ありがたくも私たちが住む市中へ御祭神がお渡たりくださるわけですから、こちらも心身を整えて待ち、拝礼でお迎えします。最近はお神輿さんに向かって手を合わせる人が少なくなったのはさみしいところです。

祭を支えるのは「神事へのご奉仕」と「町衆の楽しみ」

―これだけの大きな祭を支え、受け継ぐ原動力とは何なのでしょうか?
 
■野村:言うまでもなく祭の本質とは信仰です。神様をお迎えし、疫病を町から祓うことは、医療が発達していない時代の人々にとってはある種の感染予防策の一環であり、「公共事業」でした。みなさんは信心からご奉仕されているわけですが、もちろん利害関係もあります。かつては社寺の参道で商売をするためには神社からの許可が必要でしたから、それに対する御礼として祭にご奉仕する意味もあったでしょう。
 
■平岡:為政者からすれば山鉾巡行は町衆たちに日ごろの不平不満や鬱憤を晴らさせるガス抜きの意味もあったと思います。財を蓄えて力を増す商人たちに対して散財させる目的もあったはずです。一方で町衆たちにとっても、祭りには信仰と楽しみの二面性があり、巡行で言えば私個人としては四条御旅所までが厳かな神事で、河原町通からの帰路は緊張も解け、楽しみの時間だと感じます。鉾のお囃子も「戻り囃子」は賑やかになりますし、郭巨山では隊列を前後入れ替えて舁き手の皆が楽しめるように工夫しています。

観る人に伝えたい、祇園祭の真髄

―国内外から祇園祭を観に来られる方々へ伝えたいことは?

■平岡:祭の伝統を守ることや、山鉾の維持には多くの費用が掛かります。昔は町内や寄り町と呼ばれる近所の町で賄っていましたが、広く資金を集めるために各山鉾町では手ぬぐいやお守りなどの授与品を工夫するようになりました。しかしこれは「授与と奉納」であって売買ではないという意味をみなさんに知っていただきたい。私たちも儲け主義に走ってはいけないと肝に命じています。
 
2023年、念願であった町会所の改装を行うためにクラウドファンディングを実施しました。テナントビルにはせず町家の風情を残して町になじむよう工夫したところ、おかげさまで日本建築学会賞をいただくことができました。クラウドファンディングや授与品を通して町内以外にも関わっていただく人を増やし、祭りに親しみ、その意味を広く知っていただけるようになればと思っています。
 
■野村:神輿渡御や山鉾巡行はブラスバンドとイルミネーションで彩られたようなパレードとはまったく違うもので、イベントではないということを訪れる人にも理解していただきたいと思います。祭の本質にあるものを知って見物に訪れてもらいたいと切に願います。

記事を書いた人:上田 ふみこ

ライター・プランナー。京都を中心に、取材・執筆、企画・編集、PRなどを手掛け、まちをかけずりまわって30年。まちかどの語り部の方々からうかがう生きた歴史を、なんとか残せないかと日々奮闘中。

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