京都の東山にある「八坂神社」の祭礼である祇園祭は、毎年7月1日から31日の1か月にわたり開催されるお祭りで、その間には多くの神事や、華やかな山鉾巡行、勇壮な神輿渡御などが行われます。なかでも山鉾巡行は、ユネスコの世界無形遺産にも登録されている注目の行事。そんな山鉾巡行に約200年の時を経て、2022年から「鷹山(たかやま)」が復活することをご存知でしょうか?
応仁の乱(1467年〜)以前から山鉾巡行に参加していた歴史ある鷹山。その復活には、関係者の方々の熱い想いや、不思議なめぐり合わせなど、たくさんのエピソードがありました。今回は、公営財団法人 鷹山保存会の理事長で、10年という期間をかけて鷹山を復活させた中心人物でもある、山田純司(やまだ・じゅんじ)さんに鷹山復活の経緯や山鉾巡行の見どころをうかがいました。
絢爛豪華な山鉾巡行と、それを支える人の熱意
「鷹山は、これまで3回焼けているのですが、その度に復活してきました。しかし、1826年の災害で懸装品を損傷してから、巡行を見合わせることとなります。当時の文献には、お上に『再建がままならず…』と申し開きをしたと記されているのですが、これは事実である一方、建前でもあります。他の山鉾は次の年には山鉾巡行に復帰していたのですから。おそらくその時には、お金も熱意もなくなってしまったのでしょう」
応仁の乱や幕末の動乱など、多くの障害を乗り超えて今に至る山鉾巡行の歴史は、幾度にも及ぶ再建の歴史と言えるのかもしれません。
「先端医療のない昔、人々が願ったのは、健康と平和でした。財を持った商人たちは家族の健康や疫病退散を願って、山鉾巡行に私財を投じるようになっていったのです」
月日が経ち、京都が商工業の町として発展していくにつれ、絢爛豪華なものとなっていった山鉾。鷹山も、舁き山(かきやま)と呼ばれる上に人が乗らない1トン未満のものから、次第にお囃子が乗った10トンを超える巨大な曳山(ひきやま)へと変わりました。江戸後期時代には「くじ取らず(*1)」の山として、最後尾の大船鉾(おおふねほこ)の前を巡行していたと記録に残っています。
「鷹山の復活は、子どもの頃からの夢でした。私が育ったのは鷹山の山鉾町なのですが、他の山鉾町の子どもたちは、毎年夏になると浴衣を着てお囃子の練習をしていました。鷹山があれば、自分もお囃子をできたのにとよく考えていましたね。それに山鉾に乗れる子は、クラスの女の子にも人気があったんです。
当時は、巡行途中で山鉾の上からちまき(*2)を投げていました。女の子は山鉾に乗る意中の男の子に『うち、あの交差点で待っているし』と言い、男の子は指定の場所でその子にちまきを投げて渡していたりすることも。ちなみに、上手く渡すためのポイントは、はじめは本命の子のまわりにいくつか投げて、周囲の人を散らしてから投げることだそうです(笑)」
鷹山復活の話はこれまでに何度かありましたが、最終的には上手くいかなかったと語る山田さん。
再建に掛かる2億円という莫大な金額や、7月の大半の時間を祭りに使うため、商売に与える影響が大きいことに加え、「復活した鷹山を見たい」という熱意が多くの人にうまく伝わらなかったことも、復活を妨げた理由のひとつなのかもしれません。
徐々に広がる不思議なご縁。いよいよ鷹山復活へ
山田さんが鷹山復活に関わることになったのは、二人のキーパーソンとの出会いからです。
1人は、町内の長老的な存在である八田章(はった・あきら)さん、もう1人は江戸期に鷹山の運営をしていた「千吉」の当代である西村吉右衛門(にしむら・きちえもん)さんでした。二人が熱心に話し合っていたのは、鷹山の再建について。仕事から引退したら、鷹山の再建に関わりたいとひそかに考えていた山田さんが二人と意気投合するのに時間はかかりませんでした。「私の夢が3人の夢になった瞬間ですね」と山田さんは当時を振り返ります。
また、近所で北観音山の囃子方をしていた西村健吾(にしむら・けんご)さんもそこに加わり、「まずは、できることから始めよう」と、2012年に発足させたのが「鷹山の歴史と未来を語る会」。2~3か月に1回ゲストを招いて、鷹山について理解を深めていくこととなります。
「復活にあたり、何をするべきか考えた時に、まずはお囃子から準備しようと考えました。お囃子なら、それほど予算もかけずできるかなと考えたのがきっかけですね」
2014年には、西村健吾さんを中心とした8人が囃子方(*3)の活動を開始。北観音山のお囃子をベースに、鷹山独自の囃子として、アレンジを加えたものを作っていきます。その後も口コミで囃子方は増え、そのなかには弁護士や公認会計士と言ったメンバーも。そこから、鷹山の復興は加速します。2016年には、審査が厳しいと言われる公益財団法人の許可が降り、再建に向けての寄付のハードルが下がったのです。
「お囃子は揃ったし、公益財団法人にもなり資金面の可能性が出てきました。当時は、資金とお囃子が揃えばなんとかなる!と思っていたんですが、実際に蓋を開けてみれば、足りないものばかりでした」と山田さんは振り返ります。
まずは、最も大切な「人」。山鉾に関わる人はたくさんいます。総重量が10トンを超える山鉾を引っ張る「曳き手」に、その曳き手が息を合わせられるように掛け声を掛ける「音頭取り」、山を組み立てる「車方」など、実際に山鉾巡行に関わる人だけで200人を超えるのです。
「人については、ご縁に恵まれたの一言につきますね。囃子方も、車方も、曳き手も鷹山復活の話を聞いた人が『ぜひやりたい!』と熱意をもって参加してくれました」と山田さん。たった3人から始まった夢が、まるで何かに導かれるかのようにつながりが生まれていく様子は、「御神体の導きなのではないか」という山田さんの言葉もうなづけます。
残るは「もの」と「金」にまつわる課題。先述したとおり、山鉾の再建には少なくとも、2億円という莫大な金額が掛かります。しかし、こちらも他の山鉾や、地域の大学と学生たちの支援で解決へと向かっていきます。
「山鉾の部品は、一つ一つが高価で、かつ使えるようになるまでに大変な時間が掛かるもの。場合によっては10年もの月日を要するものもあります。船鉾(ふねほこ)さん、放下鉾(ほうかほこ)さん、菊水鉾(きくすいほこ)さんをはじめ各方面の方々のご協力いただいたことで、資金面や復活に掛かる時間を大幅に減らすことができたんです。競い合うことも多い山鉾町ですが、祇園祭を盛り上げたいという心は一つなのだと感じましたね」
関係者が羽織る衣装は、京都市立芸術大学の教授の協力のもと学生たちが考案。浴衣の案として採択されなかったものも、オリジナルマスクの柄として活かされました。「はじめは3人の夢だったものが、気づけばみんなの夢に。皆さんの熱意とサポートのおかげで、2026年だった復活の予定が大きく前倒しとなり、晴れて2022年から山鉾巡行に参加することになりました」
見どころは?
多くの人の期待を乗せて、山鉾巡行に復活する鷹山。その見どころについて、山田さんに教えてもらいました。
「動く美術館と言われる山鉾。一番水引をはじめとする懸装品はぜひ、じっくりと鑑賞いただきたいですね。
見事な麒麟が描かれた一番水引は、三重県の神社にある山車の懸装品を参考に製作されたもの。右の胴懸のペルシャ絨毯には、水の神である蟹の連続模様や蓮やザクロの柄がデザインされています。前懸と後懸のトルコのアンティーク絨毯も大変貴重なものであり、多くの方々の支援によって鷹山を彩ることとなりました」
現時点でも、美しいと自負している鷹山ですが、今後は金工品や漆塗りなどによって、さらにその魅力を増していくことになるでしょう。そんな鷹山の変化を毎年チェックしてみるのも楽しそうですね。
目的は、山鉾巡行ではなく「疫病退散」
山鉾巡行が中止になった2020年と2021年。一方で、良い面もあったと山田さんは語ります。
「車方が他の山鉾の見学ができなかったのは残念ですが、そのかわり毎月一回自分たちで集まって練習をすることとなりました。結果的に見れば、実践的な練習を何度も積めたのはありがたかったですね。また、改めて祇園祭の意義や目的を再確認できたことはとても大きな意味がありました。山鉾巡行は大切な神事。これまでは、それをゴールとして走ってきたところもありました。しかし、コロナ禍や現在の世界情勢をみて祇園祭の本来の目的とは、疫病退散と人々の平和だと痛感したのです。山鉾巡行はスタート地点に過ぎません。本来の目的を失わず、今後も巡行を続けて行くことが大切なのではないでしょうか?」
「子どもの頃からの夢が叶い、ワクワクしている」と語る山田さん。山田さんのお話をつうじて、祇園祭というハレの舞台を盛り上げようという熱意や、祭りを楽しみにするたくさんの人の思いが、祇園祭を支えてきたのだと感じられました。
【参考文献】「祇園祭 鷹山 復興のための基本設計」公益財団法人 鷹山保存会
鷹山のスケジュールは下記の通りです。ぜひ、チェックしてみてください!
鷹山のスケジュール
7月20日(水)15:00〜 曳き始め (関係者のみ)
7月21日(木)宵々々山
7月22日(金)宵々山 10:00〜 一般客搭乗 可
7月23日(土)宵山 10:00〜 一般客搭乗 可
7月24日(日)9:30〜 巡行(烏丸御池)
おすすめスポット・観覧席のご紹介
●京都文化博物館 『祇園祭 ~鷹山復興記念展~』
京都市文化博物館では、『祇園祭 ~鷹山復興記念展~』が8月7日まで開催されています。祇園祭の山鉾の歴史や、復活を遂げる鷹山についての資料も公開されているので、じっくりと祇園祭の歴史に思いを寄せてみてはいかがでしょうか?
●有料観覧席のご案内
7月17日(日)の前祭(さきまつり)巡行、7月24日(日)の後祭(あとまつり)巡行を安心・安全にゆっくりとご覧いただける有料観覧席を設けますので、ぜひご利用ください。(※完売の場合あり。)
【教えて!祇園祭のひみつ】200年の時を超えて甦る鷹山。 山田理事長が語るとっておきのウラ話。 | Kyoto love Kyoto. 伝えたい京都、知りたい京都。
*1:くじ取らず…毎年先頭を行く長刀鉾(なぎなたぼこ)や最後尾の大船鉾など、一部の山鉾はあらかじめ順番が決められており、残りはくじ引きで順番を決めます。
*2:ちまき…笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守り。食べ物ではありません。京都では、祇園祭で購入した厄除けちまきを家の軒下などに1年間吊るします。上記のような山鉾からのちまき配りは現在、行われていません。
*3:囃子方(はやしかた)…祇園祭のお囃子の演者。宵山や山鉾巡行において鉾の上から奏でられるお囃子は京都の夏の風物詩です。
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記事を書いた人:Kyoto Love.Kyoto
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