【Street Guide】水尾-村上和彦さん(株式会社京都水尾農産)

エリアごとに独特の文化や歴史が色づく街、京都。たくさんのガイドブックがこの地の魅力を語っていますが、それが全てではありません。旅を忘れられないものにする、驚きや発見。その地を自分の足で巡り歩いた人だけが見つけられる、知られざるスポットがまだまだあります。

※Street Guideシリーズは、外国人観光客向け京都観光オフィシャルサイト「Kyoto City Official Travel Guide」にも掲載しています。

https://kyoto.travel/en/street/index.html

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今回ご紹介するのは、保津峡の北に位置する水尾。水尾の歴史は平安時代に遡ります。清和天皇が愛し、終焉の地にも選んだという地。そしてこの地は火伏せの神で有名な愛宕神社のある愛宕山への参詣道や、明智光秀が本能寺の変の直前に亀山城から愛宕山へ向かったと言われる明智越などがある交通の要所でもあります。さまざまな形で歴史に名を残す水尾は『柚子の里』としても知られています。水尾の柚子は大きく香り豊かなのが特徴。高級料亭などでも使用されており、柚子風呂や柚子をふんだんに味わえる鶏鍋を目当てに全国から人が訪れます。この水尾の魅力を、69年にわたり水尾に暮らしてきた株式会社京都水尾農産の代表・村上和彦さんにご紹介いただきます。

村上和彦さんのストーリー

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JR保津峡駅から鬱蒼とした杉林に囲まれた細い道を車で15分ほど走ると、『柚子の里』の看板が見えてきます。秋〜冬の柚子の収穫期には、集落の至るところにたわわに実った柚子の木が。この水尾は国内の柚子栽培の発祥の地と伝えられてきました。柚子の原産は中国ですが、どのように水尾に伝わったかははっきりとしません。水尾で柚子栽培が始まったおこりは、花園天皇(1297〜1348)が植えるように命じた、清和天皇(850〜880)がその香りを好んだなど諸説あります。

江戸時代には水田が多くあり1,000人近くが暮らしていたこともあったそうですが、「水尾では江戸時代に2度の大火があって、記録が全部焼けてしまったんですよ」と、わからないことも多いのだとか。村上さんが両親から伝え聞くところでは、「昔からこのあたりでは林業と柚子栽培がさかんで、男の人は林業と柚子栽培に携わり、女の人は愛宕山へ詣でる人たちへ樒(しきみ) を売る仕事をしてきました」とのこと。村上さんの実家も、そんなふうに代々水尾で山とともに暮らしてきた農家の一つでした。

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ところが、1952年生まれの村上さんが青年期を迎えた昭和40年代、この村は転機を迎えます。林業は衰退し始め、後を継ぐはずの子どもはサラリーマンになって都会へ出ていき、後継者のいない家が増えていきます。そんななか、唯一この村から職場まで通い続けたのが村上さんでした。「同世代の60代、70代で1回も出てない人は私だけです。朝は6時半に出て、毎日JRに乗って。昭和46(1971)年に入社してから、40年間ずっとここから通いました」。

同じ時期に水尾地域の安定した収入源を作ろうと婦人会の取り組みで始まったのが、家庭のお風呂を使った柚子風呂と鶏鍋でした。「林業が衰退して、四国の方でも柚子栽培を始めて柚子の産地が拡大してきて、競争が厳しくなってきたんです。それに、柚子は木にトゲがあるのでどうしても皮に傷ができてしまいます。そういった出荷できない柚子をなんとか使えないかと始まったのが柚子風呂でした」。お風呂と一緒に、集落で盆と正月のごちそうだった鶏のすき焼を出して、地元の人と交流しながら飾らない一般家庭の雰囲気を味わってもらおうというアイデアは大当たり。京阪神からのアクセスがいいこともあってたちまち評判を呼び、最盛期には集落の15軒ほどが柚子風呂と鶏鍋を提供していたそうです。

村上さんも平日は仕事、土日は家業の手伝いという生活を40年近く続けたのち、定年。柚子に力を入れようと、2014年、62歳のとき農事組合法人を作りました。村上さんは持ち前の行動力を発揮して販路を広げ、柚子に情熱を注いできました。取引先が全国にわたったため2019年には株式会社化。「後継者がいなかったのですが、次男が継いでくれると言うので、今後は私が元気な間にどうにか軌道に乗せないとと思っています」。

この柚子の里の過去、現在、未来について村上和彦さんに案内していただきました。

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清和天皇の愛した地

1200年近い歴史を持つ水尾にはさまざまな顔があります。なかでも、水尾は清和天皇に縁の深い土地として知られています。清和天皇は平安時代の天皇で、その子孫の一統は清和源氏と呼ばれ、のちに武士の時代を作りました。この地を訪れた清和天皇は静かで清らかな水が流れるこの地をいたく気に入り、終焉の地として選びました。村上さんも、「今日は月参りの日で、朝は清和天皇社にお参りをしてきました」と毎月お参りをしています。また家々で持ち回りで神社の役をしたり、季節ごとにお祭りをしたりと、清和天皇社と清和天皇稜は集落の人たちにとって欠かせない生活の一部となっています  。

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愛宕山への参詣路

村上さんの家から柚子畑へ行く途中、村上さんが立ち止まって「あそこが愛宕山です」と指差して言いました。「いい景色でしょう。私はこの風景が好きなんですよ」。
愛宕山は京都市北西部に位置する山で、そこには京都の人たちに台所の神様として篤く信仰されている愛宕神社が祀られています。この集落は愛宕山の西山麓にあり、参詣路にもあたるため、愛宕山と深い関係がありました。かつて愛宕山へ月参りした人は、帰りに30枚の葉がついた樒を買い、それを毎日竈にくべて火の安全を願ったそうです。その樒を売っていたのが、この集落の女性たちでした。

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さまざまな道が交差する交通の要所

自家用車が普及する前、集落の人たちは幅1メートルほどの細い山道を徒歩や荷車を引いて駅まで向かいました。「わたしの母も昔は柚子の出荷のときには駅まで歩いて、そこから蒸気機関車に乗って丹波口にある市場まで持っていっていました」。この道は戦国時代の武将・明智光秀が本能寺の変(1582年)の前に亀山城から愛宕山へ向かったとされる「明智越」として知られる道と一部重なっています。  また、山の中には切り出した木材を運搬する「きんま道  」、愛宕山の東側にある清滝から水尾まで米を買いに来た人が通ったという「米買い道」など、さまざまな道が交差しています。今ではこれらの道のいくつかは整備され、手軽に自然を楽しめる道としてハイカーやサイクリストに親しまれています。

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柚子栽培の今と昔

村上さんは定年後に起業してから耕作放棄地や山を買い、開墾しては年々柚子畑を大きくしていきました。「この辺りの柚子の木は高木で、昔は13段の梯子でとっていたんですよ。でも、私は木を剪定して低くして収穫しやすいようにしているんです」「柚子畑の一面に生えている青々とした草は実はナギナタカヤという植物だそうです。大きくなってタネの重みで倒れて枯れると肥料になるといいます。そんなふうに柚子栽培にもひと工夫を凝らしています。そのせいか村上さんの畑の柚子の木はどれも勢いがよく、葉は青々としており、一つ一つの実も大きいのです。

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近年は山が荒れ、鹿や猪といった獣害が増えてきているそう。耕作放棄地の畑ではすっかり下草や樹皮を食べられています。ところが、村上さんの畑には青々とした下草が残っており、丹精こめて世話をしているのがわかります。それでも、自然が相手の仕事のため時には台風や雪害に見舞われることも。一時期は相次ぐ災害で生産量は半分以下まで落ちましたが、ここ数年はこれまでの努力が実り、ようやく最盛期の収穫量近くまで持ち直しているそうです。

このように、柚子栽培も会社も順調のように見えますが、一つ大きな心配の種があるそうです。それは、この水尾の未来のこと。「この集落では私たち60代が最年少。柚子風呂と鶏鍋を続ける家も半数になりました」。この水尾も全国の中山間地域と同様に、過疎化と高齢化を避けて通ることはできません。一見すると立派な日本家屋や丸々とした柚子がたわわに実る柚子畑のなかに、空き家や耕作放棄地もあるのだとか。また、人手が足りず、神社の役や年中行事もこのまま続けていけるかわからないような状態になっているといいます。自分たちが元気な今のうちに、どうにかして柚子の生産を増やして安定させ、ゆくゆくは人を雇ってこの集落で柚子作りを続けていきたいというのが、村上さんの願いです。

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柚子の里のこれから

村上さんが生まれてからのおよそ70年の間にも、かつて川沿いにあった梅畑と水田は杉林となり、125年続いた小学校が休校し、村の様子は大きく変わりました。また、人口減少だけでなく獣害や自然災害、気候変動など心配の種も尽きません。そんななかで、新たな取り組みも始まりつつあります。これまで京都では寒冷で育たないと言われていたレモン栽培に京都府全土で取り組む「京檸檬プロジェクト」に挑戦中です。

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こうして集落を取り巻く環境が大きく変わる中でも、村上さんが子どもの頃にアマゴやウナギをとったという川の清らかさや、柚子の収穫期の鮮烈な黄色と緑に彩られた光景は、変わらないまま。

変わりゆくものと変わらないものを味わいに、この里を訪れてみてはいかがでしょうか。

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村上さんの目線で切り取られた水尾

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企画編集:ANTENNA

ライター:太田 明日香
写真撮影:岡安 いつ美

記事を書いた人:ANTENNA

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ANTENNA

地域に根ざした世界中のインディペンデントな「人・もの・こと・場所」をおもしろがり、 文化が持つ可能性を模索するためのメディアANTENNAです。 https://antenna-mag.com/

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