洛中洛外図とは
洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)は京の都を見渡し洛中(市中)と洛外(近郊)を描いた鳥観図(俯瞰図)として知られています。現代風にいえば「京都パノラマ図」といったところでしょうか。建物や景色だけでなく、四季の移ろいや行事、人びとの生活の様までを描写しているのが特徴です。後述する上杉本にはなんと2,500人もの姿が見られます。洛中洛外図の数は確認できるものだけで100点近くあり、室町時代後期から江戸時代末期までに描かれました。そのうち2点が国宝に、5点が重要文化財に指定されています。また、その多くは屏風絵として描かれ、洛中洛外図といえば屏風のイメージが定着しています。
上杉本「洛中洛外図屏風」
数ある洛中洛外図の中でも、国宝として広く知られているのが「上杉本 洛中洛外図屏風」です。諸説ありますが、一般的には16世紀中ごろに織田信長が狩野永徳(かのうえいとく)に描かせたものとされ、現在は山形県の米沢市上杉博物館に所蔵されています。上杉本の特徴は、保存状態が極めてよいことや、地名や施設名などの書き込みがあり、その多くが現在の京都にも残っていることが挙げられます。上京を描いた「左隻(させき)」には、公家武家の屋敷をはじめ金閣寺や相国寺・嵐山・嵯峨野・鞍馬などの名勝が見られます。下京を描いた「右隻(うせき)」は、清水寺や東寺、銀閣寺などの諸寺と祇園会(祇園祭)で彩られています。上杉本は当時の祇園祭の様子を知る資料としても重宝されており、学術的な側面からも高く評価されています。
織田信長が上杉本を作らせたワケ
ところで、上杉本はなぜ「上杉本(うえすぎぼん)」といわれ、織田信長と何の関係もない山形県米沢市にあるのでしょうか?上杉本の「上杉」とは軍神の異名を誇る上杉謙信を指します。武田信玄のライバルとして人気を博す戦国大名ですね。信長は戦国最強とも謳われる上杉謙信を恐れていました。万が一にも武田家と上杉家の両方を敵に回しては、さすがの織田軍もひとたまりもなかったでしょう。信玄と交戦する決意を固めた信長は、謙信とは誼(よしみ)を通じようと画策、贈りもので謙信の気を惹こうとします。その贈りものこそが洛中洛外図屏風であったわけです。戦国大名の駆け引きが国宝を生んだともいえるわけですね。
「洛中洛外図屏風」にみる京の人々
この上杉本の横幅は左右あわせて7.2メートルあり、その大きさに圧倒されます。その一方で細部にこだわった描写に驚かされます。
たとえば、有名な清水の舞台から景色を眺める参拝客が描かれていて、現代の観光客の姿と何ら変わらないことがうかがえます。
また金閣寺の屋根には雪化粧が施されているなどその芸の細かさに感嘆します。
マニアックなところでは、タクシー怪談で有名な深泥池(みどろがいけ/京都市北区)が、当時は「みぞろいけ」と呼ばれていたことを発見しました。
さらに「武家行列の中で輿(こし)に載っているのが上杉謙信ではないか」という説もあるなど、見るものに想像力を働かせてくれるのが上杉本の最大の魅力です。
洛中洛外図屏風は美術品として、そして歴史を知る資料として、京都の魅力が凝縮された作品といえます。屏風を通して京都の歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
京都で洛中洛外図屏風(複製)を鑑賞するならココ!
●京都市平安京創生館 (京都市生涯学習総合センター内)
京都市中京区聚楽廻松下町9-2 (丸太町通七本松西入)
「常設展」 国宝「洛中洛外図屏風(上杉本)」陶板壁画 古典の日記念 京都市平安京創生館
●京都市景観まちづくりセンター
京都市下京区西木屋町通上ノ口上る梅湊町83-1
(河原町五条下る東側)「ひと・まち交流館 京都」地下1階
[施設]京都市景観・まちづくりセンターひと・まち交流館京都B1F
●京都府京都文化博物館(映像版)
京都市中京区三条通高倉
京都府京都文化博物館 | 実績紹介 | 株式会社丹青社
●鴨川ギャラリー(二条大橋 右岸)
京都市中京区鉾田町(川端通二条)
https://www.pref.kyoto.jp/kamogawa/documents/gallery.pdf
参考文献
国宝 上杉本 洛中洛外図屏風/米沢市上杉博物館
戦国京都の大路小路/河内将芳 著(戒光祥出版)
歴史REAL 戦国時代大図鑑(洋泉社MOOK)
祇園祭温故知新/京都市文化市民局文化財保護課 監修(淡交社)
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記事を書いた人:吉川哲史
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一般社団法人 日本ペンクラブ会員。八坂神社中御座三若神輿会 幹事。祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。さまざまな京都ネタを題材に仮説を立てた記事をKyoto love Kyoto. サイトに寄稿中。2021年「西陣がわかれば日本がわかる」を上梓。