仁和寺で知られる京都市右京区の御室。その一角に、築80年を超える郊外邸宅建築が当時のまま残されている。国の登録有形文化財(以下、文化財という)として登録されるこの邸宅の名は、「旧邸御室」。通年を通して、一棟貸しとする場所貸しをメインに、撮影、食事会、セミナー等、様々なシーンでの利用のほか、特別公開や“美酒楽庭”と銘打ったビアガーデンイベントを開催するなど、建築物としての役割を超えた価値に、訪れる多くの者を魅了している。そしてそこには、文化財を守り紡ごうとする理念を持ち、真摯に行動を起こす「人」の姿があった。文化財の魅力は「人」である。そう語る旧邸御室館長の山本さんから、文化財の価値を高める「人」の力について、お話を伺った。
父の想いを胸に始めた文化財運営、そして苦労の連続
「社長のお父様がここを気に入って購入したんです。何か意味があってお父様が残してくれた場所を、みんなで守っていきたい。そのような想いでこの『旧邸御室』を開館して5年。コロナ禍に見舞われると同時に、文化財を維持・運営する上での、様々なハードルにも直面しました。」
「旧邸御室」は、第一種低層住宅専用地域にあるため、事業運営の許可を取るために、越えなければならないハードルが多かったそうだ。
「許可を取るためには、『建築物の安全性の確保』と『近所の方に運営を認めてもらうための公聴会の開催』が求められました。建築物の安全性を確保するために、測量をするところから始めて、畳を全てあげて、杭打ちを行ったり、天井の修繕をしたりしました。かなりの費用が掛かり、当初想定していた助成金がコロナの影響で減額されたこともあって費用の殆どが自社負担となってしまい、借り入れせざるを得ない状況となりました。また、公聴会も、皆さんからのご意見にしっかりと答えたいという想いで対応したのですが、苦心する場面も多々ありました。」
「文化財を維持・運営するには、皆さん本当に苦労されていると思います。私たちもこんなに大変なことを会社の事業としてやる意味があるのか、自問自答の日々でした。」
文化財を保存し、活用するためには、どうしても多大なコストがかかるため、経営的な視点も欠かせない。「保存」と「活用」の両立に悩みを抱える事業者は、少なくないだろう。両立するための文化財としての在り方が、今問われているのではなかろうか。
文化財を活かすのは、「人」の力
「邸宅の特別公開を行う際は、どんなに費用が掛かってもガイドさんを手配しています。それだけは譲れないんです。とくに、ガイドさんには、ここの歴史や由来をただ説明するだけでなく、㈱山三製材所※という10名足らずの会社の社員で、この旧邸御室を守っている姿を伝えてもらうようお願いしています。上から目線な物言いに聞こえてしまうかもしれませんが、ただ建物の歴史についての解説をしていただくようなガイドさんには、伝える内容を変えていただくようお願いしています。文化財所有は、所有している側が頑張っている姿を見せることが大切だと思っています。」
※現所有者(㈱山三製作所創業者の次女)の父である山本三夫氏が一代で築いた会社。事業運営は、株式会社Evansが行っている。
他の文化財もたくさん見に行ったそうだが、「人」の姿や想いに触れる場がないところは、訪問者の滞在は5分にも満たないように見えた。一方、旧邸御室は、じっくりと滞在される方が多く、なかには丸1日という方もいるようだ。とくに京都は魅力的な「建物」が多いので、それに「人」が負けてしまわないように気を付けなければならない。訪れる方に最も喜んで貰っているのは、場所を守ろうとする「人」の姿や想いを感じる体験だと山本さんは語る。
「受付は社員自身で対応しており、来られた方には玄関で『こんにちは』と挨拶するようにしています。文化財の玄関で『こんにちは』と言われるのは初めてだとお客さまからよく言われるんです。また、挨拶を交わすこと自体が楽しかったと言われたこともあります。」
「社長がここにいて、幼い頃、お父様と住んでいた頃の話が聞けることも、とても喜んでいただけます。特別なことをやっている訳ではないのですが、ここで楽しかった、と言ってもらうために、かしこまらず、自然に、お客さまと話をしたいという気持ちが伝わっているのではないでしょうか。」
文化財には必ず「人」が関わっていて、その「人」の力で文化財の良さが活かされる。どのような人たちがこの場所を運営しているのか、どのような想いでこの場所を紡いでいこうとしているのかを、活き活きと話そうとする「人」の姿に、訪れる方も自然と耳を傾けてくれるのだそう。
「お客さまの中には、私たちに会いに来たと言って、何度も訪れてくれる方がいます。何回でも来てみたい文化財になることが私たちの目標です。」
文化財を守ろうとする気持ちや姿勢を見せる。そして訪れる側もその気持ちに惹かれ、また来たいと思う。これこそ「観光客と事業者がお互いを尊重し合う」という京都観光モラルの理念を体現しているといってよいのではないだろうか。
周囲との良好な関係があってこその事業運営
「ご近所には絶対に迷惑をかけないという気持ちでやっています。うちの支配人は、建物の前だけでなく、最寄りの駅までの道まで掃き掃除をするんです。地域のゴミ出し場も綺麗に掃除します。施設の運営は、近所の方との良好な関係があってこそなんです。年末の挨拶や、公開事業の前後の挨拶は、欠かさないようにしています。」
住宅地に囲まれた立地での事業運営は、お客さまの声やイベント開催時の音楽の音漏れ等、気を遣うことも多いという。心を込めて、丁寧にコミュニケーションを取ることで、事業運営に理解を示してくれる方も増えていったそうだ。地域との調和を大切にした結果ではないだろうか。
また、大切にしているのは、地元の方々だけではなく、「外」からいらっしゃる方、全ての方に対しても真摯に対応していると、山本さんは言う。
「お客さまから頂いたご意見に対しては、必ず社員全員で考える時間を持ってから回答するようにしています。言いたいことを言われるお客さまも中にはおられますが、私たちは、ご意見に対して、思ったこと、感じたこと、そして私たちの方針をしっかりと伝えられるように、社員全員の目線を合わせています。そうすると、続け様にお叱りを受けるようなことは無くなります。」
相手が誰であってもお客様への対応は一緒
コロナ禍前まで、京都の街は多くの外国人観光客で賑わっていたが、公開を始めて間もなかった旧邸御室を訪れる外国人観光客は稀だったそうだ。時期や場所によっては、外国人観光客の受入れでトラブルが発生している噂を聞くこともあるが、相手が誰であってもお客様への対応は一緒であることが旧邸御室のポリシーだ。
「外国人がマナー違反をするというイメージを持っている人もいると思うけれども、日本人にもマナーの悪い人はいます。むしろ、こちら側からのお願いをすんなり聞き入れてくれるのは、外国人のお客様のほうだったりもします。地域の方々にとって、見知らぬ人が近所をうろつくことは望ましいことではなく、それが日本人であるか外国人であるかは関係ありません。ただ、お越しになるお客様に罪はありません。施設を公開している以上、私たちがきちんと対応できるかどうか次第だと思っています。『〇〇しないで!』ではなく『〇〇してくれると助かります』という伝え方にするなど、お互いにとって気持ちのいい接し方を心がけたいです。」
内と外、垣根なく、真摯に向き合う姿勢こそ、事業運営にとって大切であることを教えていただいた。
自由な発想で、京都をもっと面白く
「コロナ禍前、訪日外国人の方が大勢京都に来られていた時期には、日本人の観光客の方のなかには『京都が外国人の街になった』とおっしゃる方もいました。だけど、私は、『人』の魅力がある限り、日本人の観光客は、京都から離れていかないと思うんです。うちみたいに小さくて名もないところは、自由に何でもできるという強みがあるので、私たちが勢いを持って頑張ることで、京都の魅力を作っていかなきゃ、と思っています。」
旧邸御室では特別公開時の規制を特に設けておらず、好きなだけ触れて、好きなだけ写真を撮ってもらえるようにしている(商業用はNG)。“美酒楽庭”も夜、庭を見ながらお酒が飲めたら楽しそうだな、という自由な発想から生まれたそうだ。ちなみにこの“美酒楽庭” では、家庭の味が再現された心のこもった料理が用意されており、他のビアガーデンには無い独特の時間を過ごすことができる。
また、先日は、東京大学公共政策大学院の学生による京都視察ツアーの会場としても活用される機会があった。文化財の魅力を身近に感じながら、まちづくりや地域経済について学んだ時間は、ここ数年コロナ禍の影響で続いてきたオンライン講義と違って、学生にとって様々な気づきをもたらしたのではないだろうか。
「できるだけ近くで文化財を感じていただくことで、お客さまはもっと楽しんでくれるのではないか、と思うんです。ですので、おせっかいなくらいに、私たち社員もお客さまの中に入っていきます。私たち『人』がいるから、ここが面白い場所になっているんじゃないかと思っています。」
元々ある建築物の魅力に、「人」という活力で、新しい魅力を創出しようとする姿が、そこにあり、京都観光モラルの理念にも通じる想いが感じられた。理念を行動として実践することは大変な労力が要る。山本さんを初め、社員の皆さんの行動は、先人たちが保存してきた「宝」に更に磨きをかけようとする事業者にとって、多くの気づきを与えてくれそうだ。(2022年制作記事)
■リンク
◇【京都観光モラル】優良事例集
◇株式会社Evans 公式HP
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記事を書いた人:京都観光Naviぷらす編集部
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