ユネスコの世界文化遺産にも認定されるなど、ますます人気の高まる和食ですが、一口に和食といってもさまざま。特に京料理が人気ですが、そのなかの〝おばんざい〟と呼ばれるのは、ごく普通の家庭料理。近年、よく耳にする〝おばんざい〟ですが、その〝おばんざい〟の継承者としてテレビや雑誌などでも知られる料理研究家の杉本節子さんにお話をおうかがいしました。節子さんは京都の年中行事や歳時記に合わせた食習慣などを伝える料理研究家として、また、築150年の伝統的かつ、大型の京町家で国の重要文化財にも指定される杉本家の10代当主という立場から(財)奈良屋記念杉本家保存会の事務局長として京都の歴史や文化を継承するため、執筆や講演なども行っています。
おばんざいって、どういう意味?
京都で日常のおかずのことを〝おばんざい〟と呼びますが、その言葉が京都で使われるようになったのは、さほど古いことではないと、節子さんはいいます。
「古い京都の人は日々のおかずのことは、単に〝おかず〟と呼んだり〝おぞよ〟あるいは〝おまわり〟などと言っていたのですが、随筆家で料理研究家でもあった大村しげさんはじめ、同じく京都の暮らしや食をテーマに執筆していた随筆家の秋山十三子さんと平山千鶴さんらが朝日新聞京都版に〝京のおばんざい〟というタイトルで、京都の日々のおかずのこと、そのおかずを食べる日など、歳時記に照らして日々の京都の暮らしぶりのコラムを3人交代で執筆されて以来のことではないでしょうか。〝おばんざい〟という言葉は、嘉永2年(1849年)に大坂の料理人がまとめた家庭料理の指南書『年中番菜録』という古い本を大村しげさんが見付けられ、その序文にあった「番菜は日用のことなれば(中略)、ただありふれたる献立をあげ、珍しき料理または値とふとく(高価で)、番菜になりがたき品は一切取らず」としたためてあった文章に共感され、日常のおかずを表現する時、積極的に使われたのです。以来、いつしか京都でも定着していったようです」と節子さん。
ちなみにそのコラムは昭和39年(1964年)1月4日が第1回目。かれこれ60年近い歳月が経ち、京都人にも馴染み深く、全国にも知られる言葉になったということです。
おばんざいが象徴する京の暮らし
「ふだんのおかずが何故これほどまでもてはやされるのか不思議ですが、倹(つま)しいなかにも美しく暮らす京都の生活文化への憧れがあるからと違いますやろか?」と節子さんはいいます。自然を尊び、自然の移ろいとともに暮らす生活習慣や何の日に何を食べるなど、歳時記や伝統を尊ぶ暮らし、あるいは食材への感謝や慈しみから生まれる倹約の精神、食材を無駄なく使いこなし、残り物でも再度火を入れたり、調理し直したりして残さず食べ切ってしまう知恵や工夫など、おばんざいに象徴される京都の生活文化と精神文化は、地球温暖化や食糧問題を抱える現代人が志すべきライフスタイルで、その共感や憧れがおばんざい人気につながっているのではないかと語ります。
おばんざいって、どんなお料理?
「これは我が家に伝わる日々の献立への覚え書き『歳中覚(さいちゅうおぼえ)』ですが、『朝夕茶漬、香の物、昼一汁一菜』と書いてありますね。朝ご飯と晩ご飯は、お漬け物でお茶漬け、お昼はお味噌汁など汁物とおかずがひと品だけです。もの凄く質素ですね。これが書かれたのは天保12年(1841年)ですが、当家では寛政年間(1789-1801年)頃から書き始めたようです。〝寛政の改革〟〝享保の改革〟〝天保の改革〟と、江戸幕府が幕政を改革する毎に書き改めています。この天保12年版は、贅沢を禁止した〝天保の改革〟に合わせて、『我が家ではこのように質素倹約に努めております』と、幕府のお役人に表明する意味もあったのだと思います。代々の当主か、あるいは字の巧い番頭など男の手でしたためられています」と。
おばんざいは、大根や南瓜、水菜や葱など最も滋味があり、安価に手に入る旬の野菜をはじめ、干物や豆腐、油揚げなどを使った質素な献立で、〝大根とお揚げの炊いたん(炊いた物の意・煮物)〟や〝九条葱と烏賊(いか)のぬた〟など質素でありふれたものがほとんど。
特に、これぞおばんざいの真骨頂ともいえるのが〝贅沢煮〟と呼ばれる大根とお揚げの炊いたん。漬かり過ぎた古漬けの大根を捨てずに何度も水を替えて塩出しをし、油揚げとともに出汁の味を染みこませるようにじっくり時間をかけて炊き、鷹の爪でアクセントを利かせたおかずで、お金はかかってはいないけれど、手間暇をかけて無駄なく食べきる料理です」と節子さん。
贅沢煮のネーミングの由来は、手間と時間をかけたことが贅沢なのだとか。文句や不服をいわさず、しかも、その名の響きから期待感をもって家族に食べてもらう知恵だというわけです
私が伝え、残したいもの
「和食がユネスコの世界文化遺産になったことは、素晴らしいことですが、その和食の定義として〝出汁を使う〟ことが特徴だと書かれています。出汁とは通常、昆布と鰹で、その旨味こそ和食、特に京料理のおいしさだと暗黙のうちに定着しているようですが、私は、出汁を使わなくてもおいしいものは作れるはずだと思っていますので、料理研究家としてこれはひとつの問題提起として投げかけていきたいと思っています。お家によってそれぞれ食習慣があると思いますが、我が家では母も祖母も料理する度に昆布と鰹の出汁を引いていたわけではありません。魚や野菜を炊くにしても、魚や野菜の素材そのものから出汁が出て、それだけでもおいしい一品ができますね。日々のおかずは、料理屋さんでいただくようなお料理でなくても、そこそこのおいしさで事足りるのではないかと・・・」と節子さん。
では、出汁を使わなくてもおいしくするにはどうすればいいのかとお尋ねすると、
「大切なことは、下ごしらえ。大根を炊くなら、今なら電子レンジという便利なものがあるので、予めレンジで柔らかくしておいてから味つけするとか、水や酢水に晒して灰汁(あく)や渋みを抜くなど、ちょっとした手間を惜しまないこともおいしさを引き出すコツ。また、瑞々しい冬の大根なら、旨味も栄養も凝縮されている皮は剥かずにそのまま使っても何の支障もありません。あるいは、皮を厚く剥いて、その皮の部分を別の料理に仕立てることもできますね。この粕汁は、大根も人参も皮つきなんですよ」と。節子さん手作りの粕汁を試食させてもらったのですが、節子さんの説明を聞くまで皮つきであることに気づかないほどの柔らかさでした。
「切ってしまえば、そこから先はゴミ。素材はなるべくほかさん(捨てない)ように、使い切ることがおばんざい調理法の特徴かもしれません。今はテレビやネットでプロの料理人の技や調理法をアマチュアである生活者が学べる機会に溢れています。たとえば、出汁をふんだんに使うとか、荒布(あらめ)の炊いたんに柚子の皮をふりかけるなど、プロの技が一般家庭にまで入ってきて、少し、違和感を覚えます。その逆に手抜き料理の方法もいろいろ発信されていますね。その両極の間をつなぐのが、私のお役目かな、と。日持ちさせるための工夫とか、残り物同士を上手に組み合わせて別の一品に作り直すとか、普通の家庭料理というか、プロとは別の素人ならではの調理法や技を伝えていきたいと思っています」。
質素倹約だけでなく、食材と作った人への感謝、環境への配慮などさまざまな思いがこめられているのが家庭料理たるおばんざいで、その理念こそ次代に伝え、残していきたいのだと節子さんは考えていらっしゃいます。
<京の食文化>
「京の食文化ミュージアム・あじわい館」のウェブサイトでは、京都の食文化や食材について詳しく解説しています。京の食文化を知りたい方は、ぜひご覧ください。
京の食文化ミュージアムあじわい館:https://www.kyo-ajiwaikan.com/shokubunka
<画像協力>
京の食文化ミュージアム・あじわい館
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