7月の「祇園祭」、10月の「時代祭」と並ぶ、京都三大祭のひとつ「葵祭」。葵祭という言葉は聞いたことあるけれども、実はどんなお祭りなのかよく分からない・・・・・・という方も多いのではないでしょうか。
祭りの本来の意味を知れば、現代との意外な繋がりが見えてくるかも。
今回は、京都関連の講演やツアーで日々、京都の魅力をさまざまなかたちで発信する、らくたび・若村亮が葵祭のひみつについてたっぷりとご紹介します。
葵祭ってどんなお祭り?
-今回のテーマは「葵祭」ですね。実は葵祭って名前くらいしかよく知らないのですが……。
若村:大丈夫です!葵祭ビギナーの方にもわかりやすくご紹介していきますのでご安心ください。祭りの本質をじっくりと学んでみると面白いですよ。
早速ですが、葵祭と言えばどのようなイメージがありますか?
―そうですね。「装束を着た人たちが、優雅な行列をなして京都のまちなかを歩くお祭り」というイメージなのですが……。
若村:ニュースなどでよく観るのがそうした場面なので、葵祭=行列というイメージでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。この行列は葵祭の大切な神事のひとつで、「路頭(ろとう)の儀」と呼ばれています。
―「路頭の儀」!立派なお名前が付いていたのですね!
若村:立派なのは名前だけではありません。「路頭の儀」は、毎年5月15日に平安装束をまとった行列が京都御所を出発して、下鴨神社から上賀茂神社へと向かうのですが、その人数はなんと約500名にも及びます。行列は人間だけではなく、馬36頭、牛4頭、牛車2基、輿1台が一緒になって列をなし、全長約8kmの道のりをゆっくりと進んで行きます。
―約500名とはすごいですね!そもそもなぜ行列は下鴨神社や上賀茂神社に向かうのでしょうか?
若村:それは、葵祭が下鴨神社と上賀茂神社のお祭りだからです。
―神社のお祭りだったのですね!何となく市民のお祭りのように思っていました。
若村:葵祭は、祇園祭、時代祭と並んで京都三大祭のひとつとして、広く親しまれているので、そのように思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。下鴨神社と上賀茂神社は「賀茂社」との総称で呼ばれていて、いにしえよりそこで行われる祭りは「賀茂祭」として親しまれてきたという歴史があります。賀茂社の神紋である「ふたばあおい」で、お祭りの衣装や牛車などを飾ることから、江戸時代より賀茂祭は葵祭と呼ばれるようになりました。
葵祭の始まりって?
―そもそも葵祭、つまり賀茂祭はどのように始まったのですか?
若村:葵祭の歴史は古く、まだ京都に都ができる前の6世紀頃にさかのぼります。当時、風水害によって稲が育たず不作に終わることが相次ぎました。欽明天皇が占いをさせたことによって、度重なる凶作の原因は、五穀豊穣をつかさどる賀茂の神様の祟りだと判り、その祟りを鎮めるため、賀茂神話に伝わるご神勅(神様のお言葉)に則り、馬に鈴を付けて走らせて豊作を祈願したのだそうです。このことが賀茂祭の始まりだと言われています。
―なるほど、葵祭は五穀豊穣を祈るお祭りなのですね!
若村:実はその後、平安京が遷都されて都が京都に移ると、賀茂社は国全体を守る神社として崇められ、それに伴って、賀茂祭は国家的な祭りへと発展していきます。応仁の乱の後、一時中断することはありましたが、江戸時代の元禄7年(1694年)、朝廷や徳川将軍家の援助もあって復興しまして、今ではなんと1400年を越える長い歴史のあるお祭りとなりました。
―あの雅な行列「路頭の儀」は何のために行われるのでしょうか。
若村:そうですね、平安時代以降、賀茂社が国を守る神社となったことはすでにお話ししましたが、そのため賀茂祭には天皇が国の平和を願って使者である勅使(ちょくし)を派遣し、祈りを捧げられます。
この勅使が賀茂社へと向かう道中の行列と、本殿で祈りを捧げる儀式は次第に祭りの見どころとして注目を集めるようになったのですが・・・・・・実は、この行列こそが「路頭の儀」というわけです。
―なんと!あの行列は賀茂祭に向かう勅使の列なのですね!
若村:その通りです。ちなみに、勅使が賀茂社で捧げる祈りは「社頭(しゃとう)の儀」と呼ばれ、こちらは現在の葵祭でも行列が下鴨神社と上賀茂神社に着いた際、それぞれの社で古来、変わることなく斎行されています。
―ちなみに、「路頭の儀」の日程は決まっているのでしょうか?
若村:葵祭に関する行事の日程は決まっていて、毎年同じ日に行われます。「路頭の儀」は毎年5月15日。これは年によって変わることはなく、毎年必ず5月15日です!(雨天の場合は翌16日に順延)
―覚えました!「路頭の儀」は毎年5月15日!ですね。
若村:はい。「社頭の儀」も同じく5月15日で、下鴨神社、上賀茂神社の境内で営まれる儀式ですね。
葵祭ってどんなことが行われるの?
―5月15日の「路頭の儀」以外にも、葵祭に関する行事はあるのでしょうか。
若村:「路頭の儀」はもちろん祭りの大切な行事のひとつで、祭りのハイライトとも言える存在ですが、そのほかにも葵祭には関連するたくさんの儀式が行われます。例えば、5月3日に行われる「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」は、下鴨神社の糺の森において、100メートル間隔で設置された3ヶ所の的を疾走する馬に乗って、矢で射抜くというもの。矢が見事命中すればその的は縁起の良い“当たり的”として一般に授与されます。
また、5月5日には、上賀茂神社で「賀茂競馬(かもくらべうま)」が行われます。
かつて宮中で行われていた儀式を、平安後期から上賀茂神社で行うようになり、現在まで続いている歴史ある儀式のひとつです。まず、馬に乗った騎手がそれぞれ赤と黒の装束を身に付けていまして、赤い装束が「左方(さかた)」、黒い装束が「右方(うかた)」となって左右に分かれます。そして、それぞれの馬が1馬身程度の差をつけて走り始めまして、その差が広がれば前を走る馬の勝ち、縮まれば後ろの馬の勝ちとなります。ただ実は、昔から赤い装束を着た「左方」の馬が勝った数が多い年は豊作になると伝えられていまして、人びとは豊作を祈って「左方」の勝利を願ったと言われています。
―ここでも「五穀豊穣」が登場しますね。ほかにはどんな儀式がありますか?
若村:5月12日には上賀茂神社で「御阿礼神事(みあれしんじ)」が、下鴨神社では「御蔭祭(みかげまつり)」が執り行われます。いずれもそれぞれ神霊を賀茂社に迎えるためのもので、「御阿礼神事(みあれしんじ)」は、上賀茂神社の儀式の中で最も古く、さらには最も重要な神事とされています。深夜に行われる神霊を迎える秘儀で、すべて非公開。
一方の「御蔭祭(みかげまつり)」は、御蔭山(みかげやま)の中に建つ「御蔭神社(みかげじんじゃ)」で生まれた新しい神霊を、白い神馬に遷して下鴨神社へと守り届ける神事で、神事そのものは非公開ですが行列の様子は見ることができます。
「路頭の儀」はどんな行列?
―こうした神事や儀式を経て、ようやく葵祭はそのハイライトである「路頭の儀」を迎えることができるわけですね。
若村:そうですね。現在の「路頭の儀」は、毎年5月15日の午前10時半、京都御所を出発して下鴨神社から上賀茂神社へと向かうのですが、その行列は、勅使(近衛使代)を中心とする「本列」と、その後ろに続く斎王代を中心とする「斎王代列」の2つの列からなります。
―「本列」と「斎王代列」ですか・・・それぞれどんな列ですか?
若村:「本列」は、先導する騎馬隊の「乗尻(のりじり)」から始まって、行列の警備の役目を担う「検非違使(けびいし)」や「山城使(やましろつかい)」が続きます。
―「本列」の先頭は強くてたくましい人々が担うわけですね。
若村:その後、神前に捧げる供物を納めた「御幣櫃(ごへいびつ)」と、それを管理する役人「内蔵寮史生(くらりょうのししょう)」や、屋根の軒から美しい藤の花を垂らす「牛車」、そして神前で舞を奉納する「舞人(まいびと)」、楽器を演奏する「陪従(べいじゅう)」が続きます。
そして、行列の中で最高位を誇る天皇の使い「勅使(ちょくし)」が立派な飾りに包まれた馬に騎乗して進みます。現在では、実際の勅使は路頭の儀には参列されていないことから、その役目を「近衛使代(このえつかいだい)」が担っています。その後、大きな傘の上に美しい花を飾る「風流傘(ふりゅうがさ)」が行列を彩り、「本列」の結びとなるわけです。
―「本列」のメインとも言えるのが、「勅使」ということですね。
若村:行列が下鴨神社または上賀茂神社へ到着すると、各神社では「社頭の儀」が行われ、本殿に祈りを捧げます。
ちなみに、「本列」をゆく人びとは、主に、警備など武事に携わった役人の「武官(ぶかん)」と、行政事務に携わった役人の「文官(ぶんかん)」に分けることができるのですが、その見分け方は何だと思いますか?
―え~っと・・・・・・何でしょう・・・・・。
若村:一番分かりやすい見分け方は、頭にかぶる冠(かんむり)の違いです。冠の後ろに垂れる長方形の帯のようなものを「纓(えい)」と呼び、纓が内巻で筒のような形状になっている「巻纓(けんえい)」と呼ばれる形をしているのが武官です。文官の冠は纓が下に垂れた「垂纓(すいえい)」の形をしています。
―なるほど!
若村:一般的に、馬に乗る人は位が高く、特に勅使(近衛使代)が乗る馬の飾りは煌びやかに輝いていますので、そちらもぜひチェックしてみてくださいね。そして「本列」の後に続くのが、斎王代を中心として「斎王代列」です。
斎王代ってどんな存在?
若村:「路頭の儀」の場面で、十二単の衣装を着た女性の姿を見たことがありませんか?
「斎王代」は十二単を身にまとった「葵祭」のヒロインとも言える存在なのですが、そもそも「斎王」というのは、平安時代に天皇の皇女や姉妹など皇室の未婚の女性から選ばれて賀茂社に奉仕した女性のことで、平安初期の第52代・嵯峨天皇の時代に始まって、鎌倉初期の第82代・後鳥羽天皇の時代まで続きました。
現代では、毎年葵祭の時期に京都にゆかりのある女性が選ばれ、その役割を担います。それが「斎王代」です。「斎王」に「代わる」存在であることから・・・・・・。
―「斎王」の「代わり」で、斎王代!ですね!?
若村:その通りです!葵祭のヒロインである「斎王代」は、京都では毎年葵祭の季節が近づくと話題になり、「今年の斎王代は、どちらのお嬢さんが務められるのでしょうか~?」というのがごあいさつ代わりになったりするわけです。
―京都の人にとってはそんなに身近な存在なのですね。斎王代はどんなことをするのでしょうか?
若村:斎王代に選ばれると、5月4日に行われる「斎王代女人列御禊神事(さいおうだいにょにんれつみそぎしんじ)」で、女人列に奉仕する女性たちとともに身を清めます。
そして迎える15日の「斎王代列」では、美しい十二単を身にまとい、“腰輿(およよ)”と呼ばれる輿に乗って優雅に都大路を進むのです。その華やかな姿は、まさに葵祭のクライマックス!という雰囲気です。
―私も「路頭の儀」が見たくなってきました!!
若村:ぜひ現地でご覧いただきたいです。時々「本列」だけご覧になられて行列を見終わったと思われ、席を立たれる方もいるのですが、ぜひ「斎王代列」の“腰輿(およよ)”までしっかりご覧になってくださいね。
―分かりました!気をつけないとですね。最後に、「路頭の儀」を観るおすすめスポットがあれば教えてください。
若村:これは時間帯によって変わってくるのですが、まず午前であれば、行列が出発する京都御苑(有料観覧席有り)や、下鴨神社の糺の森(有料観覧席有り)がおすすめです。京都御所や森林を背景に王朝絵巻のような行列が進むことから、いにしえにタイムトリップしたかのような時間を感じることができます。
午後からであれば、お天気が良ければ加茂街道へぜひ。行列の向こうに緑豊かな東山連峰や、清らかな水が流れる賀茂川など、平安貴族も眺めたであろう自然の風景と一緒に行列を観覧することができますよ。
―ありがとうございます。ぜひ来年以降の参考にしたいと思います。
五穀豊穣を祈ることから始まり、広く都の平和を願うお祭りとの意味合いも持つようになった「葵祭」。
祭りの本来の意味を考えれば、昨今の社会状況にも寄り添った、より奥深いものに感じられるかもしれませんね。
(この記事は、らくたび若村氏の見解に基づいて、ご紹介しています。)
-
記事を書いた人:若村 亮(わかむら りょう)
-
株式会社らくたび 代表取締役
- 洛を旅する - 「 らくたび 」 を創立して京都に特化した事業経営を行い、『 らくたび文庫 』 など京都関連書籍の企画・編集・執筆や、旅行企画プロデュース、各種文化講座の京都関連講演の講師、京町家の魅力発信や活用・維持保存、テレビ・ラジオ番組の出演など、多彩な京都の魅力を広く発信している。著書に、らくたび文庫シリーズ( コトコト )、『京の隠れ名所』(実業之日本社)など多数。