【京都観光の予習】これだけは知っておきたい京の菓子

京菓子は外来文化などの影響を受けつつ、宮中や茶の湯と結びつきながら京都独自の文化を育んできました。季節の繊細なうつろいや、和歌などの文学、年中行事から題材が表されています。この独自の文化が今も当たり前のように息づいていて、季節ごと節目ごとのお菓子を食べる楽しみがあります。京都の人々の間では古くから菓子が生活に根づいているのです。

ルーツを知って和菓子の深みへ

菓子の始まり

京菓子は「目で味わい、耳で味わい、そして舌で味わう」といわれます。小さい菓子の中に、日本の四季折々の美しい風物が見事な形と色彩で表現されています。また、京菓子にはゆかしい菓銘がついていて、菓銘や菓子の形や色彩に日本の歴史や文化がこめられています。その典雅な由来に、味わいが深まるのです。

夏柑糖(なつかんとう)

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古代、田道間守(たじまもり)という人が天皇の命で常世国に渡り、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を得て持ち帰りました。ところが、天皇はすでに亡くなっていて、田道間守は非時香菓を墓前に供え、嘆き悲しんで死にました。非時香菓は橘、現在の柑子蜜柑(こうじみかん)だといわれ、田道間守は菓子の神様として吉田神社内の菓祖神社に祭られています。こんな菓祖に思いを寄せた菓子があります。「夏柑糖(なつかんとう)」です。夏蜜柑(なつみかん)の果汁に寒天と砂糖を加え、再び夏蜜柑に詰めて固めています。

唐の国から伝わる

7世紀から9世紀にかけて中国へ派遣された遣唐使がもたらした菓子が、唐菓子(からくだもの)です。平安時代の漢和辞書『和名類聚抄』には、主要なものとして8種の唐菓子が記されています。梅枝(ばいし)、桃枝(とうし)、餲餬(かっこ)、桂心(けいしん)、黏臍(てんせい)、饆饠(ひちら)、[食+追]子(ついし)、団喜(だんき)。多くは、小麦粉や米粉を溶いて、いろいろな形に作り油で揚げた菓子だったといいます。長い歴史のある京都の神社の中には、神前に供える菓子に唐菓子の伝統を受け継いで作っているところがあります。

清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)

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この8種の唐菓子の中の一つ、団喜をいまに伝える銘菓が京菓子店にあります。「清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)」といい、京都の聖天さんに必ず供えられる供饌菓子として知られています。7種の香を入れた皮で小豆餡をつつみ、蓮華の形に結び胡麻油で揚げています。

王朝文学の香り

源氏物語に当時の貴族たちが食べていた菓子が登場し、今日に伝えられています。いわば王朝文学のみやびが楽しめる菓子です。蹴鞠(けまり)遊びを終えた公達が菓子や果物をはしゃぎながら食べる場面が描かれています。

椿餅

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当時は「つばいもちひ」といっていました。もち粉に甘葛(あまずら)をかけたものを椿の葉ではさんでいたようです。宇津保物語にも登場してきます。いまは道明寺粉(どうみょうじこ)を湯で戻した生地で、こし餡(あん)をつつみ椿の葉ではさみます。肉桂(にっけい)をまぶして風味をつけたりもします。菓銘も、つややかな葉の緑の色彩も、なんともいえない美しい菓子です。

禅僧とともに

鎌倉時代、中国で発達していた禅が日本に伝えられました。建仁寺の開山となった栄西、曹洞宗を開いた道元、東福寺の開山となった円爾と次々、宋に渡って禅を学んできました。新しい仏教の教えとともに、禅僧たちの斬新な暮らしのスタイルが入ってきました。

饅頭

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「饅頭(まんじゅう)」は禅僧がもたらした食文化で、もとは禅僧の間食を意味する点心(てんしん)の一つでした。「饅頭」の伝来には二つの説がいわれています。円爾が帰国して博多の茶店の主人に製法を教えたというもの。もう一つは、のちに建仁寺住職となる龍山徳見(りゅうざんとっけん)とともに林浄因(りんじょういん)が渡来し、「饅頭」を作り始めたというもの。林浄因の子孫がのち店を構えた京都市内の地は、現在も饅頭屋町(中京区)として残っています。つくね芋と砂糖、上用粉の生地で小豆こし餡をつつみ艶よく蒸しあがったさまは和菓子の代表といってよく風格があります。

南蛮渡来

江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には「飴」や「羊羹」と並んで「加須底羅(かすていら)」が紹介されています。「阿留平糖(あるへいとう)」「糖花(こんぺいとう)」というのも載っています。戦国時代、ポルトガル人やスペイン人が続々と渡航してきて、西洋の文物を伝えましたが、実はこれらは南蛮渡来の菓子だったのです。

金平糖

「金平糖」には伝来の記録があります。1569年、京都に上ってきた織田信長に、キリスト教布教を願う宣教師ルイス・フロイスが拝謁しました。その時の献上品の中にフラスコに入った「コンフェスト」がありました。これが「金平糖」です。当時の人は宝石のように思ったことでしょう。どの南蛮菓子もいまでは日本の暮らしに溶け込み、見事に和様化されています。

茶の湯とともに

茶の湯の発達とともに、今日でいう和菓子が生まれてきました。京菓子という言葉も、1627年の茶会記の中に初めて登場してきます。当時、茶の湯に集う人たちは、高い教養を身につけた権力者や文化人たちで菓匠(かしょう)と一緒になって菓子を考案していたのです。

生菓子

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主として餡類を用いた菓子で、干菓子に対する総称。餅菓子・蒸菓子・饅頭・羊羮などがあります。1589年(天正17)京都伏見の駿河屋岡本善右衛門が創製した練羊羮は優れた生菓子として有名です。江戸期以降の京菓子は宮中・社寺・大名への献上・供応に貴重でした。また京都には茶道三千家の家元があり、その普及で濃茶用に生菓子が用いられて発展しました。美しく高尚な味といわれ、種類はもとより奥ゆかしい銘をつけたものが多いです。

干菓子

一般には生(なま)菓子に対して乾いた菓子の総称で、生・半生・蒸物・棹物・飴類以外の菓子を指します。砂糖を固めた有平糖、いりだねで作るおこし、落雁・白雪こうなどの打物、焼種で作る煎餅・松風・軽焼などがあります。京菓子の発展は茶道とともに歩み、干菓子は薄茶用に用いられてきました。

らくがん(落雁)

打物干菓子の名で、麦こがし・きな粉などを主材料に砂糖・水飴でねり型にはめ乾かしてつくられます。室町期に本願寺の綽如時芸が、もち米の粉を固め、その上に黒ごまを散らした菓子を、雪の上に降りた雁にみたてて名付け、御所に献上したといわれています。

菓子型

京菓子づくりになくてはならないのが、押し菓子用の木型です。京都のみならず、全国で使われている菓子型のほとんどが、京都の職人の手によって作られています。桜を素材とし、3年間ほど乾燥させた後で使います。古くから伝わる菓子の形に応じて、細かな部分まで丁寧に彫刻された菓子型。この押し菓子用の木型のほかに、打ちもの用の金型もあり、伝統的な技法を今に伝える菓子型職人の腕が、世界に誇る美しい京菓子の伝統を守り続けています。

季節と行事の菓子

京都の和菓子店では、定番の商品とともに季節と行事にあわせたその月だけのお菓子が並びます。

新春

初春は厳かな中にも華やぎのある正月飾りに、年賀の茶釜を懸ける家もあります。心も新たにいただく茶菓子には「花びら餅」がよく使われます。「菱葩(ひしはなびら)」ともいい、明治のはじめに初めてつくった粽匠(ちまきしょう)の店では「御菱葩(おんひしはなびら)」と呼んでいます。丸く薄い白餅に紅色の菱型の餅を重ね、甘く煮た牛蒡(ごぼう)と味噌餡(みそあん)を置いて折りたたみます。いまは餅を求肥(ぎゅうひ)にしている京菓子店が多いです。もとは宮中の正月行事で公家百官に配った菱葩に由来します。正月はこのほか、その年の干支や歌会始の御題にちなんだ「干支菓子」や「御題菓子」が京菓子店の店先をにぎわします。

ひな祭り

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3月3日は桃の節句のひな祭り。ひな人形に「菱餅(ひしもち)」を供えるのが定番です。「菱餅」は紅白緑の3色の伸(の)し餅を重ねたもののほか、黄色と桃色を加えた5色もあります。緑は蓬を入れた草餅で、厄除けの意味がこめられています。また、京都のひな祭りに欠かせない菓子は「引千切(ひきちぎり)」です。「ひっちぎり」「ひちぎり」とも呼びます。外郎やこなしでつくった紅白緑の台に、着色して裏ごしした白餡のそぼろをのせています。こなしとは、こし餡に小麦粉やこめ粉を入れ、蒸して熱いうちに砂糖を加え、もみこなした生地をいいます。これも宮中の儀式に用いた戴餅(いただきもち)に由来します。

花見のころ

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花便りが届くころは、「花見団子」に目がいってしまいます。緑白紅の3色の団子は桜の花と葉を表すといいます。
桜の葉の何ともいい香りが味わえるのは「桜餅」。道明寺糒(どうみょうじほしい)を蒸して砂糖をくわえた生地で、こし餡をくるみ、塩漬けの桜葉でつつみます。葉は野生種の山桜に属する大島桜の大きな若葉が用いられます。桜をモチーフにした京菓子はたくさんあり、どれも京菓子らしい美しく象徴的なデザインの上生菓子です。

端午の節句

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端午の節句に「粽」と「柏餅」は欠かせません。平安時代の『和名類聚抄』という漢和辞書には、「粽」の作り方とともに、5月5日にこれをくらうと紹介されています。しんこ生地や葛粉を使った生地を円錐形にし、笹の葉とい草で巻いて蒸し上げます。「粽」は邪気をはらうとされます。
「柏餅」は、柏の葉が食器がわりに使われた名残から生まれたといいます。柏は、秋の枯れ葉が春に新芽が出るのを見届けてから落葉するというので、子孫繁栄に通ずる縁起のいい木とされます。しんこ生地でこし餡をつつみ柏の葉で巻いたものが一般的です。

夏越のころ

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6月30日には、京都の神社で夏越(なごし)の神事が営まれます。茅(ち)の輪が境内に取り付けられていて、参拝の人たちが輪をくぐって半年のけがれをはらいます。この日に食べると、厄払いができると言い伝えられている菓子が「水無月」です。米粉や小麦粉に砂糖を加えて溶き、枠に流して蒸し、邪気をはらう甘納豆の小豆をのせて蒸し上げ、三角の形に切り分けます。台の生地に抹茶や黒砂糖を入れたりもします。三角の「水無月」の形は氷を模したものといわれます。かつて京都の北山には氷室(ひむろ)が設けられ、夏に御所に氷が献上されましたが、庶民は貴重品の氷片をかたどった菓子にして食べたのだといいます。

祇園祭

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祇園祭は京都三大祭りの一つ。祭りと菓子のかかわりも本当に深いものがあります。長刀鉾(なぎなたほこ)に乗る稚児(ちご)と禿(かむろ)が八坂神社に社参した後、南楼門前の茶屋で振る舞われるのが、串に刺した餅に甘白味噌(あましろみそ)を塗った「稚児餅」。
役行者山(えんのぎょうじゃやま)に供えられ、宵山の一日だけ店で売られるのが「行者餅」。小麦粉と砂糖の生地を薄くのばして焼き、粉山椒を混ぜた白味噌を塗りつけた餅をのせて折りたたみます。行者の篠懸(すずかけ、麻の法衣)をたたんだ形といい、無病息災を願う菓子です。
菊水鉾(きくすいほこ)に献上されて、町会所に設けられる茶席の菓子に使われるのが「したたり」。寒天、黒砂糖、粗目、水飴を溶かして煮詰め、棹に流し固めた琥珀羹です。菊水鉾は名水・菊水の井戸と、菊からしたたる露を飲み長寿を保ったという菊慈童(きくじどう)にちなんでいて、菓子も菊の露のしたたりに由来します。

重陽のころ

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9月9日は重陽(ちょうよう)の節句。菊の節句ともいわれ、奈良時代から宮中では観菊の宴が催されました。また前日の夜に菊の花に真綿をかぶせ、下りた露に菊の香りを移して顔をぬぐうと、老いが去り命が延びるというので、平安時代の貴族の女性たちが盛んに取り組んだことが、王朝文学に描かれています。いまは廃れてしまった、そんなゆかしい行事を思い起こさせるのが京菓子の「着(き)せ綿(わた)」です。こなし生地や、白餡に求肥を加えて練った練り切りの生地で、餡玉をつつんで、ヘラで菊の形に仕立て、上に白餡のそぼろをのせます。

晩秋から冬へ

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京都はいまも暮らしに古い宗教行事が息づき、その起源は平安時代の宮中行事に端を発していることが多いです。11月が近づくと、菓子店に「亥子餅(いのこもち)」が出ます。求肥に黒胡麻や肉桂(にっけい)を混ぜた生地で粒餡をつつみ、猪の体のように俵型にします。これも宮中行事の御玄猪(おげんちょ)の儀式にちなみ、無病息災や子孫繁栄を祈るのです。護王神社では11月1日に亥子祭があります。
11月はまた、各神社や町内の稲荷明神の祠で火焚祭が営まれます。厄除け無病息災を祈願する祭りです。そのお供えの菓子は「お火焚饅頭(ひたきまんじゅう)」と「お火焚おこし」。祭りの後、お下がりが信者や町内の各家に配られます。菓子店にも火焔玉(かえんだま)の焼き印が鮮やかな饅頭が並びます。火焚祭が終わると、秋もいよいよ深まって、やがて菓子店には山茶花(さざんか)や寒椿(かんつばき)を写した美しい上生菓子が出ていたりします。

神社仏閣とともに(社寺ゆかりの菓子)

神饌(しんせん)や仏供(ぶく)には菓子がいつも供えられています。定まった紋章を木型で押した落雁の「御紋菓(ごもんか)」は特に有名です。神社仏閣の社前・門前は聖なる領域への入り口です。参詣の人たちが増えてくると、茶屋が設けられ、神仏の霊験に思いを寄せて、お茶とお菓子をいただくようになりました。

大仏餅(だいぶつもち)

太閤秀吉の命により造立された京の大仏・盧舎那大仏が安置されていた方広寺門前の老舗が自慢の餅を販売したのが始まりです。
江戸時代後期に刊行された京都に関する地誌「都名所図会」には、「大仏餅は方広寺の大仏殿建立のときにはじまり、味よく、煮てもとけず、あぶると香ばしく、唐・もろこし(中国)の絶品にも負けない)」とあります。
材料にもち米を使い、杵と石臼にて職人が丁寧についた昔ながらの餅菓子です。

みたらし団子

下鴨神社の名物で、串にさして焼き甘いたれをつけた団子。境内末社の御手洗社の池に湧き出す水玉をかたどったものという。5つの団子を竹串にさし、1番目は大きく2番目は少し間をあけ、小さ目を4つつけ人体をあらわし、厄除けに昔は神前で祈祷を受けてから持ち帰ったといわれています。

あぶり餅

北区紫野、今宮神社の東門に面した茶店が売る餅。親指大の餅片を12センチほどの細く割った竹串にさし炭火であぶって、きな粉と混ぜた白みそをつけて食べます。平安時代、一条天皇が疫除けの意味で神前に供えたことがはじまりとされています。

粟餅(あわもち)

北野天満宮の門前茶屋、粟餅所澤屋の名物菓子です。江戸時代に茶店を出したといわれています。糯粟 (もちあわ) を蒸してついた餅で、餡で餅を包んだ餡餅と、餅にきな粉をまぶしたきな粉餅があります。

松風(まつかぜ)

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西本願寺と密接な関係のある「松風(まつかぜ)」は、まさに運命をともにしてきた歴史があります。織田信長の石山本願寺明け渡し要求に対抗して、本願寺の顕如(けんにょ)は持久戦を戦いましたが、「松風」はその兵糧にとつくられました。のち本願寺が京都に落ち着いたとき、顕如は「わすれては波のおとかとおもふなり まくらにちかき庭の松風」と詠み、懐かしい兵食に菓銘を与えました。

やき餅

餅だけを焼いたもの。京都では砂糖醤油をつけたり、それを海苔で巻いて食べます。一方、餅の中に小豆あんを入れ両面を焼いた焼餅は神参りのみやげとして古くから門前で売られ、現在も上賀茂神社などの門前菓子として、親しまれています。

大徳寺納豆

蒸した大豆に塩水にひたした豆麹をまぜ発酵させ、約2ヵ月間天日で乾燥させた濃褐色の辛納豆。一休禅師が中国の製法を授けた禅僧の保存食。大徳寺門前の一久は500余年、秘法を伝承。1481年(文明13)一休禅師入寂の地、洛南・田辺町薪の一休寺(酬恩庵)でも7~9月に同じ製法で一休納豆をつくります。

祇園香煎(こうせん)

東山区祇園の原了郭は「祇園香煎」の名で知られる香煎の老舗。京名物のひとつでもあります。元禄年間(1688-1704)に店舗を構え、赤穂浪士・原惣右衛門の一子儀左衛門道喜が漢方医に製法を学び商いを始めたといいます。紫蘇香煎・あられ香煎も扱っています。

五色豆

白・赤・茶・緑・黄の5色の砂糖衣をかけた豆菓子。色合いが鮮やかで、めでたい催しにも使われる京名物の一つです。1884年(明治17)ごろ西陣の2軒の豆屋でつくられた。五色は宮中五節句の色にあやかる王朝色ともいわれています。

州浜

大豆の粉と麦芽飴を練った素朴な菓子。1595年(文禄4)亀屋清次が考案しました。1657年(明暦3)丸太町通南側の植村義次がつくった洲浜は、蓬来山をかたどる洲浜台に由来するといいます。江戸時代の花形菓子で来日した朝鮮通信使の接待にも使われた記録もあります。13代目当主は現代人向き洲浜を相次ぎ創作しました。

そばぼうろ

そば粉を原料に焼いた南蛮風の菓子。現中京区蛸薬師姥柳町にあった南蛮寺などキリスト教会で礼拝者にふるまわれた小麦粉の焼菓子“ボール”(オランダ語)にちなみます。この手法を応用、そば粉で梅型・小円型に焼いたものに中京区の総本家河道屋で「蕎麦ぼうろ」と名付けられました。

味噌松風

小麦粉にみそ、砂糖を入れてこね、焼いた菓子で、表面に砂糖水をぬり、ケシ粒やゴマを散らしつけた干菓子。裏にこげ目の模様がなく「うら(浦)淋し」から松風と名づけたといいます。紫野味噌松風は歌人烏丸光広(1579-1638年)、六条松風は後水尾天皇(1611-29年)の命名と伝わります。

八ツ橋

うるち米粉に砂糖・ニッケイ粉を入れ薄い短冊形に切り、反りをつけて焼いた菓子。京名物の一つ。享保年間(1716-36)箏曲八橋流の祖・八橋検校の墓がある左京区黒谷で琴形の煎餅を売ったのがはじまりとの伝承があります。

 

参考文献
「京都」×わカル - 京都の伝統・文化・暮らしのガイド 京都市産業観光局観光MICE推進室

記事を書いた人:京都観光Naviぷらす編集部

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